マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

屈辱の時代――タタールの軛

 ルーシの諸侯たちは、モンゴルに征服をされ――

 13世紀前半から15世紀後半にかけ、屈辱の時代を過ごした。

 

 この時代は、

 ――タタールの軛(くびき)

 と呼ばれる。

 

 ――タタール

 とは――

 本来、ユーラシア大陸の広大な草原で暮らしていたトルコ系民族のことを指すが――

 ここでは、モンゴルないしジョチ家――東欧を治めることとなったチンギスの長子ジョチを祖とする一族――を指す。

 

 また、

 ――軛

 とは――

 牛馬の頸の後ろに渡す横木を指し――

 車を引かせる時に用いる。

 

 ルーシの諸侯たちは、自分たちを、

 ――草原の帝国

 という名の“車”を引かされる“牛馬”に見立てた。

 

 以上は――

 ルーシの立場で視た光景である。

 

 傍観者の立場で視れば――

 ルーシの諸侯たちに対するモンゴルないしジュチ家の処遇は、決して苛烈一辺倒ではなかった。

 

 モンゴルないしジュチ家は、ひと度、歯向かった者たちを容赦なく殺し尽くしたが――

 当初より恭順の意を示していた者たちには、概して寛大であった。

 

 広範な自治を許し――

 貢納や軍役の義務を課すに止めた。

 

 こうした統治の方針に適応をしえた諸侯たちが――

 旧ルーシで有力となっていった。

 

 それら諸侯のうち、事実上、旧ルーシの過半を統べていったと考えられるのが――

 モスクワを拠点とする、

 ――モスクワ公国

 だった。

 

 ここでいう、

 ――モスクワ

 とは――

 後にソビエト連邦ロシア連邦の首都となる――

 あの、

 ――モスクワ

 である。

 

 『随に――』