キーウからモスクワへの権力の移管が、
――タタールの軛(くびき)
のない時代に完了をしていたならば――
旧ルーシの近現代史は、だいぶ変わっていたに違いない。
ウクライナもロシアも――
時代の流れの帰結として――
キーウからモスクワへの覇権の移ろいを自然と認めていたであろう。
例えば――
日本において、京都から東京への覇権の移ろいが自然と認められているように――
実際には――
そうはならなかった。
ウクライナとロシアとで――
覇権の移ろいの観方が不可逆的に決裂をした。
ウクライナからみれば、
――モスクワは、“草原の帝国”に巧く取り入り、どさくさに紛れてルーシの覇権を掠め取った。
であった。
ロシアからみれば、
――モスクワは、旧ルーシの人々の代表として、“草原の帝国”からルーシの覇権を奪い返した。
であった。
この決裂が――
ウクライナをして、
――ウクライナは旧ルーシの発祥国であり、ロシアの“親”である。
と信じせしめ――
ロシアをして、
――ロシアは旧ルーシの後継国であり、ウクライナの“親”である。
と信じせしめた。
つまり――
ロシアもウクライナも、
――自分たちこそが“親”だ。
と信じるに至った。
それは、
――タタールの軛
が決定的にした不幸である。
かの地に、
――タタールの軛
を齎(もたら)した者たちは、まことに罪深い。
『随に――』