――教育
とは、
――教え、育てる
ではなく、
――教えを乞うように働きかけ、その結果、しぜんと育つように導く。
である――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
――教育者は出しゃばってはならない。
とも述べました。
……
……
――教育者は出しゃばってはならない。
というと――
学校の先生から、お𠮟りを受けるかもしれません。
――そんなことは先刻承知である。
というお叱りです。
ここでいう、
――出しゃばる
とは、
――自分の教えを押し付け、その結果、生じる変化を「育ち」と思い込む。
という意味です。
実は――
学校の先生は――
この「出しゃばる」の危険性に気づきやすいのです。
学校で、
――教育とは何か。
などは考えずに、ただ無邪気に出しゃばっていると――
自分よりも明らかに資質や能力に優れている相手には関われなくなるからです。
学校では、一度に大勢の児童・生徒・学生を対象にします。
それら対象の一部は――場合によっては、対象の大部分が――先生よりも優れた資質や能力を備えているものです。
ただ無邪気に出しゃばっていたら、少なくとも一部の児童・生徒・学生からはソッポを向かれるのが必然です。
さて――
学校よりも、
――出しゃばる
の危険性に気づきにくい場所があります。
職場です。
上司・先輩が出しゃばる結果、その部下・後輩の教育を止めてしまう――
そういう例は枚挙に暇がありません。
もっと深刻なのは――
家庭でしょう。
親が出しゃばる結果、子の教育を止めてしまう――
この種の悲劇は――
明らかに職場よりも家庭のほうで高率に起こるように、僕には思えます。
つまり、
――出しゃばる
の危険性は、教育の対象となる者の数が少ない場所ほど、高まりやすい――
ということです。