マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

教育者は出しゃばってはならない

 ――教育

 を、

 ――教え、育てる

 と思っているうちは、きちんとした教育にはならない――

 

 そもそも、

 ――教育をする

 という表現それ自体が間違っている――

 

 ――教育

 とは、

 ――教え、育てる

 ということではなくて、

 ――教わらせ、育たせる。

 ということである――

 

 よって、

 ――教育

 は、

 ――する

 ではなく、

 ――させる

 が正しい――

 

 そんなことを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ……

 

 ……

 

 書いた本人がいうのも何ですが――

 

  ――教育

  とは、

  ――教え、育てる

  ではなく、

  ――教わらせ、育たせる。

  である――

 

 のところが――

 かなり、わかりにくかったように思います。

 

 同じことを――

 あえて字数を費やして述べ直せば――

 

 ――教育

 とは、

 ――教え、育てる

 ということではなく、

 ――教えを乞うように働きかけ、その結果、しぜんと育つように導く。

 ということである――

 となります。

 

 要するに、

 ――教育者は出しゃばってはならない。

 ということです。

 

 ――教育者は、例えば「私が教え、育ててやろう」とか「私のいう通りにしていればよい!」とかと嘯(うそぶ)き、自ら前面に出て細かく指導をするのではなくて、まずは教わり育とうとする者を冷静に見出し、その者に緩やかに関わりながら、その者に対し、いかに動機付けをし、意欲を保たせ、あるいは、自分なりの創意工夫をさせるか、ということに腐心をするのがよい。

 ということです。

 

 ここでいう、

 ――教育者

 とは、

 ――仕事として教育に携わる者

 くらいの意味です。

 

 学校の先生、大学の先生、塾や予備校の先生、習い事の先生は、もちろんのこと――

 職場で後輩や部下に仕事の内容や手法を伝える立場の人たち――先輩や上司――も、広い意味では、

 ――教育者

 といってよいでしょう。