――入学試験には、人道的な見地から、試験時間に制限をかけざるをえない。
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
その制限時間の長さというのは――
志願者の年齢によります。
幼い子どもであれば、どんなに長くても1時間――
大人に近い子どもでも、たかだか3時間が限度でしょう。
制限時間の上限が決まってしまっている以上――
その上限から逆算をして入学試験の問題を調える必要があります。
その際に――
もし、事務処理能力の高い志願者を選び出すのであれば――
比較的に易しい問題を数多く課すのがよいのです。
が、
――教わり育とう!
の思いに溢れている志願者を選び出すのであれば――
難しい問題を数少なく課すことになります。
このような入学試験ですと、
――教わり育とう!
の思いに乏しい志願者は、試験時間中にやることがなくなってしまい、おそらく、酷く退屈で不甲斐ない思いをするでしょう。
が――
それでよいのです――
そのような志願者こそを拒むための入学試験なのですから――
……
……
とはいえ、
――難しい問題を数少なく課す
という入学試験は、出題者の側に、かなりの能力と経験とを要します。
うっかりすると、志願者のほぼ全員が同じ成績となりかねないのです――ほぼ全員が満点とか、ほぼ全員が零点とか、ほぼ全員が〇〇点とか――
一方、
――比較的に易しい問題を数多く課す
という入学試験なら――
能力や経験に乏しい出題者であっても、ほぼ全員が同じ成績になってしまう危険性を抑え込めるのですね。
よって――
現行の入学試験のほとんどが、
――難しい問題を数少なく課す
という様式にはなっていません。
――比較的に易しい問題を数多く課す
という様式になっていて――
その結果、
――教わり育ちたい!
の思いに溢れている志願者ではなく――
事務処理能力の高い志願者を選び出す仕掛けになってしまっているのです。