マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

難しい問題が数少なく課されるのなら特別な受験技術は不要になる

 入学試験を、

 ――難しい問題を数少なく課す

 という様式にすれば、

 ――教わり育とう!

 の思いに溢れた志願者を選び出すことができる――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 では、具体的にどうすれば――

 そのような様式の入学試験になるのか――

 

 ……

 

 ……

 

 それは――

 おとといの『道草日記』で述べたように――

 問題の文が著しく長くなっている問題です。

 

 志願者は――

 その著しく長い文を読み込んでいき、何か新しい知識や理解を、その場で――つまり、入学試験の会場で――得た上で――

 問題を解くことになります。

 

 このように述べると、

 ――入学試験の会場で、いたずらに長い文を読ませるのは不適切である。

 との反論を受けます。

 

 その通りです。

 

 志願者が入学試験の会場で読むことになる文は、厳選をされる必要があります。

 学びとれることの多い文でなければなりません。

 著しく虚構性の高い文や、空理・空論を主体とする文であってはならないでしょう。

 

 が――

 現実に即した内容が理に適った論旨で明快に書かれていて、学びとれることが多く含まれている文であれば――

 長くてよいのです。

 

 長い文であっても、日頃から長い文を頻回に読んでいれば、正しく早く読み終えることができます。

 

 もちろん――

 常に正確に文意を汲みとる訓練は済ませておく必要があって――

 それを怠っていると、いくら長い文を頻回に読んでいても、正しく早く読み終えることはできないのですが――

 常に正確に文意を汲みとる訓練が、ひとたび済んでしまえば―― 

 文を読む速さは、文を読んだ量に比例をします。

 

 よって――

 問題の文が著しく長くなっている問題に十分に対応をするには、

 ――日頃から長い文を頻回に読んでおく

 という当たり前の準備が中心になってきます。

 

 つまり、

 ――難しい問題を数少なく課す

 という様式の入学試験で好成績を残すのに、何か特別な受験技術を身につける必要はない――

 ということです。

 

 ――日頃から長い文を頻回に読んでおく

 というのは――

 要するに、

 ――大量の文献に精通をしておく

 ということであり――

 すべての学問領域における基本的な営みです。