マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

徳川幕府による教育の施策の何がよかったのか

 ――徳川幕府は“国家百年の計”の教育を誤らなかった。

 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 では――

 徳川幕府による教育の施策の何がよかったのでしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 この問いに答えるのは、とても難しいのですが――

 

 それでも――

 思い切って答えるならば――

 

 ……

 

 ……

 

 ――中央集権的な束縛をかけず、地方分権的な多様性を許したこと――

 であろうと思います。

 

 教育における、

 ――中央集権的な束縛

 というのは――

 例えば、中国の歴代皇朝が採った科挙――高級官吏採用試験――の制度に象徴をされます。

 

 ――束縛

 というのは、具体的には、

 ――教育の評価基準

 ですね。

 

 その束縛の様相は――

 例えば、明治政府が設置をした陸軍士官学校海軍兵学校――将校の養成を担う教育機関――の入学試験の制度にも、おそらくは、みてとれるでしょう。

 

 このような、

 ――中央集権的な束縛

 は、

 ――知の多様性

 を奪います。

 

 試験の公平性を保つために、できるだけ同様の評価基準が全ての受験生に一律に適用をされるのですから――

 多様性が失われるのは、当然です。

 

 ――知の多様性

 が奪われた中で、いくら良質の教育を志しても――

 均質な人材が生まれるばかりです。

 

 それでは、

 ――どんな問題が起こっても適切に対応ができるように、今から人材の育成の仕組みを整えておくこと

 という、

 ――国家百年の計

 の要諦には適わないのですね。

 

 徳川幕府は、中国の歴代皇朝と違って、地方分権型の国家でした――日本列島に散らばる大小300くらいから成る小国家(藩)の連合体であったのです。

 よって、教育の施策に、

 ――中央集権的な束縛

 をかけたくても、不可能であったといえます。 

 それが、

 ――国家百年の計

 の視点では幸いであったのですね。

 

 徳川幕府が政権を手放した後――

 明治政府が政権を握って、西欧列強のような中央集権的な国家を目指したわけですが――

 教育の施策についても中央集権的であろうとしたことは、余計でした。

 

 西欧列強――例えば、イギリス――は、教育に関しては、実は、それほど中央集権的ではありませんでした――今でも、そうです。

 地域によって、あるいは機関が公立か私立かによって、教育の理念や実践が多少なりとも違うことが、当たり前であったのです。

 

 ……

 

 ……

 

 すぐにおわかりのように――

 

 現代日本も、明治政府が抱えていたのと同じ通弊を抱えています。

 

 地域によらない一律の指導要領や公私によらない画一の学校組織は、

 ――中央集権的な束縛

 の具現であるといってよいでしょう。

 

 何よりも――

 現行の公務員採用試験は、かつての中国の科挙と似たような弱点を抱えているように、僕には思えます。

 

 もし、

 ――国家百年の計

 を真剣に考えるなら――

 このことを深刻な問題ととらえ、早急に手を付ける必要があるのですが――

 

 さて――

 どこまで理解が得られるでしょうか。

 

 ――将来のアヘン戦争や太平洋戦争を避けるには、現行の公務員採用試験を見直す必要があるんです!

 と力説をしても――

 たぶん、すぐには、わかってもらえないでしょう。