マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

徳川幕府は、なぜ本格的な海洋国家を目指さなかったのか

 ――16世紀終盤の日本列島の豊臣政権は、皇朝・明のような大陸国家を目指すのではなく、ポルトガルやスペインのような本格的な海洋国家を目指すのがよかった。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 豊臣政権による朝鮮出兵は、その目的が明の都へ攻め入ることであったことから、大陸国家を目指した行動と考えられるために――

 仮に、豊臣政権が目論見通りに明の都を攻め落としたところで――

 その後の東アジアの歴史は大して違わなかったであろう――

 ということも述べました。

 

 せいぜい、皇朝・清の代わりに豊臣政権がイギリスからアヘン戦争を仕かけられることになった――くらいの違いでしょう。

 

 現実の豊臣政権は、朝鮮出兵の頓挫の後、急速に力を失います。

 政権を引き継いだのは、徳川幕府です。

 

 徳川幕府は、大陸国家はもちろん、本格的な海洋国家も目指しませんでした。

 いわゆる鎖国を始めます。

 

 徳川幕府は、なぜ本格的な海洋国家を目指さなかったのか――

 

 理由は、明らかです。

 

 キリスト教です。

 

 覇権国家として世界に君臨をしようと狙っていたポルトガルやスペインは、キリスト教の流布を先触れとする侵略の方法を採っていました。

 侵略の対象に定めた国家――植民地候補の国家――の支配者階層にキリスト教の信徒を増やすことで、侵略を容易かつ静謐に進めようとしたのです。

 

 この方法は実に巧妙でした。

 少なくとも表向きは宗教という民心の救済を掲げることから、侵略を進める側も進められる側も、自分たちのしていることやされていることが侵略であると強く意識をすることが難しかったのです。

 

 豊臣政権も徳川幕府も――

 その宗教を隠れ蓑にした侵略行為に気づくのが遅れました。

 

 よって、後手に回らずをえず――

 結局は、キリスト教を禁じて国交を閉ざすという消極的な対応に徹さざるを得なかったのです。

 

 300年後の未来を考えたら――

 もっと積極的な対応を採るのがよかったのです。

 

 キリスト教を禁じず、国交を閉ざさず、むしろ、本格的な海洋国家を目指せばよかった――

 

 徳川幕府は、その気になれば、十分に目指せたはずです。

 

 が――

 そうなれば、日本列島の人々は、周辺の制海権だけでなく、遠方の制海権をも争って西欧列強と深刻な軍事衝突を繰り返したことでしょう。

 

 それだけでなくて――

 日本列島の支配者階層の一部にキリスト教が浸透をして、日本列島で宗教戦争が始まっていた可能性があります。

 

 キリスト教を奉じる諸大名と徳川幕府との間で、血を血で洗う内戦が頻発をしたことでしょう。

 現実の徳川幕府がもたらした300年近くの泰平の世は、おそらく30年と続かなかったことでしょう。

 

 戦乱の世への逆戻りを嫌って――

 徳川幕府キリスト教の禁止と鎖国の徹底とに踏み切ったと考えられます。

 

 この発想は――

 300年先の東アジアの繁栄や安泰のことを考えたら――

 間違いでした。

 

 が――

 当時の人々にとっては、目先の100年のほうが重要であったのです。

 

 それは人情です。

 

 ――300年先のことは、300年先の連中にやってもらう。

 ということです。

 

 が――

 残酷なことに、

 ――300年後に慌てて対処をしても遅かった。

 というのが、アヘン戦争の顛末でした。

 

 この辺りに、人の知性の限界があるといえそうです。