マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

豊臣政権は本格的な海洋国家を目指せばよかった

 ――16世紀終盤の日本列島に生じた豊臣政権は、アヘン戦争のような惨禍を東アジアに招かないようにするために、朝鮮出兵を試みたと考えられるが、それは、まったく功を奏しなかった。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 では――

 豊臣政権は、どうすればよかったのか――

 

 ……

 

 ……

 

 本格的な、

 ――海洋国家

 を目指せばよかった、と――

 僕は考えます。

 

 ここでいう、

 ――海洋国家

 とは――

 たんに、

 ――国土が海で囲まれている国家

 という意味ではなく――

 国土が海に囲まれていることを積極的に活かして外交や通商を幅広く営んでいく国家のことです。

 

 要するに――

 西欧の大航海時代以降――

 ポルトガルやスペイン、オランダ、イギリスが実践をした国家像のことです。

 

 ポイントは、

 ――大陸国家(非海洋国家)

 との区別化にあります。

 

 例えば、皇朝・明や清は大陸国家でした。

 

 本格的な海洋国家を目指すということは――

 これら大陸国家とは全く別種の国家像を追求するということであり、その追求の姿勢を自他ともに認めるような情勢を作り出す、ということです。

 

 現実の豊臣政権は、海に囲まれた日本列島にありながら、なぜか大陸国家を目指しました。

 海洋国家を目指していたのなら、明の都を本気で目指したりはしないはずです。

 現実の豊臣政権は日本列島の特長を活かさなかった――活かせなかった――のです。 

 朝鮮出兵が成功をしなかったことは、理の当然でした。

 

 海洋国家は、遠方の海域でも積極的な外交や通商を繰り広げます。

 その、

 ――外交

 には、軍事が含まれます。

 

 よって――

 豊臣政権が本格的な海洋国家を目指していたなら――

 日本列島の歴史は、さらにキナ臭いものとなったでしょう。

 

 徳川幕府がもたらした300年近くの泰平の世は訪れず――

 日本列島の内外で騒乱の絶えない情勢が続いたはずです。

 

 中国大陸や朝鮮半島との衝突は、苛烈を極めたかもしれません。

 

 が、同時に――

 オランダやイギリスがそうであったように――

 世界の各地へ進出を果たしたことでしょう。

 

 豊臣政権は強力な軍事国家でした。

 当時、朝鮮半島に延べ30万人以上の軍を派遣しています。

 

 これは陸軍です。

 

 陸軍ではなく――

 強力な海軍を作り上げ――

 その武力を活かし、日本列島の周辺はもちろんのこと、遠方の制海権をも握って、ひいてはインド、アフリカ、ヨーロッパ、南北アメリカなどにも通商の拠点を作る――

 

 そうなっていれば――

 19世紀中盤の東アジアで、アヘン戦争のような惨禍が起こることは、まず、なかったはずです。

 

 ただし――

 世界の各地で、同じ海洋国家を目指す西欧列強と、深刻な軍事衝突を繰り返していたでしょう。

 

 それは、明らかに血塗られた歴史ではあります。

 

 が――

 西欧列強と深刻な軍事衝突を繰り返すことで――

 西欧列強の文物を継続的に取り入れることもできたはずです。

 

 取り入れるだけでなく――

 日本列島で、世界に先駆け、新たな文物が創り出されていたかもしれません。

 

 少なくとも――

 東アジアが西欧の情勢から完全に取り残されるようなことには、決してならなかったでしょう。