19世紀以降の東アジアにおいて、アヘン戦争も太平洋戦争も起きないようにするには、どうすればよかったか――
との問いへの答えは、
――アヘン戦争が起こらないようにすればよかった。
である、ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
正確には、
――19世紀中盤にアヘン戦争が起こらなければ、20世紀中盤に太平洋戦争は起こらなかった。
との前提を示しました。
太平洋戦争が起こらなかったのであれば――
当然ながら――
その前哨戦である日中戦争も起こらず、日露戦争や日清戦争も起こらなかった可能性があります。
では――
その分、19世紀終盤以降の東アジアは、すこぶる平和になっていたかというと――
たぶん、そうではなくて――
悲しいことに――
もっと違った形で、戦禍の絶えない歴史になっていたでしょう。
日清戦争や日露戦争、日中戦争よりも悲惨な戦争が、もっと頻繁に起こっていたかもしれない――
ということです。
それは、ともかくとして――
もし、19世紀中盤にアヘン戦争が起こらなければ――
それ以降の東アジアの歴史は、現代の僕らが知っているような展開には決してならなかったであろうことは、ほぼ間違いないと思います。
よって――
アヘン戦争が起こらないようにするには、どうすればよかったか、という問いは――
19世紀序盤以前の東アジアの歴史を顧みる上では決定的に重要である――
といえるでしょう。
ここで再び――
16世紀終盤の日本列島に着目をします。
そこで生じた豊臣政権に、どうしても関心が向かうのです。
西欧で、いわゆる大航海時代が始まって以降――
東アジアにおいて――
その西欧列強の野心――覇権国家として世界に君臨をしようとする野心――に、最初に気づき、行動に移したのは――
おそらくは、豊臣政権です。
その「行動」というのが、
――朝鮮出兵
なのですね。
豊臣政権による朝鮮出兵の目的が、
――西欧列強による植民地化の予防
にあったであろうことは――
2019年9月14日の『道草日記』や2020年10月10日の『道草日記』で述べた通りです。
が――
この行動は、まったくといってよいほどに、功を奏しませんでした。
豊臣政権は方法を間違えたのです。
あの頃に、日本列島から朝鮮出兵を行い、朝鮮半島から“満州地域”を通って中国大陸へ押しかけたところで――
アヘン戦争を防ぐことは到底できなかったでしょう。
仮に、豊臣政権が皇朝・清に代わって中国大陸を傘下に収めることができたとしても――
皇朝・清が、そうであったように――
豊臣政権もまた、中華思想(華夷思想)にドップリ漬かってしまった可能性が高いのです。
逆に――
もし、中華思想にドップリ浸かってしまえなければ――
豊臣政権が中国大陸を長らく傘下に収めることは、決してできなかったに違いありません。
つまり――
仮に、豊臣政権が首尾よく皇朝・清に取って代わることができたとしても――
豊臣政権は皇朝・清と同じ末路を辿ったに違いないのです。
そして――
アヘン戦争を防ぐこともできなかった――
つまり、
――中国大陸が西欧列強によって傘下に収められてしまう前に、自分たちが傘下に収めてしまおう!
という豊臣政権の発想は、まったく有効ではなかったといえます。
では――
豊臣政権は、どうすればよかったのか――
……
……
簡単です。
朝鮮出兵とは全く違った方法を選べばよかったのです。
この続きは、あす――