中国大陸の人々にとっての「アヘン戦争」という名の挫折と――
日本列島の人々にとっての「太平洋戦争」という名の挫折と――
それらの間に定量的な違いはあっても定性的な違いはない、ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
簡単にいえば――
西欧で大航海時代の幕が開き、ポルトガルやスペインが覇権国家として世界に君臨をしようと試み始めていた事実に気づくのが遅れ、巧く対応をすることができなかった結果――
中国大陸では19世紀中盤にアヘン戦争が起こり――
日本列島では20世紀中盤に太平洋戦争が起こった――
ということです。
それらの挫折は21世紀序盤の現代でも続いていて――
現在、世界に君臨をしているのは、20世紀中盤にイギリスから覇権を譲られたアメリカであり――
そのアメリカの覇権を認めた上で、中国も日本も、自国の内政や外交の基本方針を決めている――
という現実があります。
この現実を――
僕は、否定的に捉えるつもりはありません。
肯定的に捉えるつもりもなくて――
ただ、歴史の流れの一環として受け止め、受け入れるのがよい、と思っています。
が――
どうせ、この現実を受け止め、受け入れるのならば――
アヘン戦争や太平洋戦争に象徴をされる戦禍・災厄は、あるよりは、ないほうがよかった――
と思うのです。
では――
アヘン戦争や太平洋戦争が起こらないようにするには、どうすればよかったか――
……
……
ここで1つの前提を設けます。
それは、
――19世紀の中盤にアヘン戦争が起こらなければ、20世紀の中盤に太平洋戦争は起こらなかった。
という前提です。
アヘン戦争が起こり、中国大陸の人々が深く大きな挫折を経験し始めたのを目の当たりにしたことで――
日本列島の人々は、いわゆる、
――脱亜入欧
に舵を切りました。
――脱亜入欧
とは、
――中国大陸の人々を何となく盟主と仰ぐ東アジアの共同体からは離脱をし、西欧列強と同じように覇権国家として世界に君臨をすることを追い求め始める。
という思想ということができます。
ところが――
覇権国家を窺う準備が全く調っていなかったにもかかわらず――
当時の覇権国家であったイギリスや、その次に覇権国家となったアメリカに対し、無謀にも戦いを挑んでしまった――
それが、日本列島の人々にとっての挫折「太平洋戦争」であったのです。
よって――
もし、19世紀中盤に中国大陸でアヘン戦争が起こっていなければ――
その後の東アジアの不幸な悲惨な紛争が起きなかったとは口が裂けてもいえませんが――
少なくとも20世紀中盤に日本列島で太平洋戦争が起こることはなかったでしょう。
19世紀終盤以降の東アジアの歴史は、全く違った展開になっていたはずです。