中国大陸の人々が、18世紀から19世紀にかけて、アヘンの売り込みという敵対的進出に曝された結果、19世紀中盤にアヘン戦争という挫折を経験し――
日本列島の人々が、16世紀から17世紀にかけて、キリスト教の流布という敵対的進出に曝された結果、20世紀中盤に太平洋戦争という挫折を経験した――
ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
この対比は一見、突拍子もないのですが――
それぞれの“挫折”が、21世紀の序盤である現代においても、まだ続いていることを考えれば――
それほど奇異には感じられません。
要するに――
中国大陸の人々の「アヘン戦争」という名の“挫折”は、19世紀中盤から現代までの200年弱にわたって続いていて――
日本列島の人々の「太平洋戦争」という名の“挫折”は、20世紀中盤から現代までの100年弱にわたって続いている――
というところに、この対比の本質がある――
ということです。
つまり――
今のところ、中国大陸の人々の“挫折”は、日本列島の人々の“挫折”よりも、
――「深くて長い」といえそうだ。
ということです。
ただし――
繰り返しますが――
その差は、
(五十歩百歩である)
と、僕は思います。
――その対比の本質は、定量にあって、定性にはない。
ということです。
まあ――
この点については、異論もあるでしょう。
今は、措きます。
が――
中国大陸の人々や日本列島の人々が、現代においても“挫折”の只中にある、ということについては、異論は少ない、と――
僕は感じます。
中国大陸の人々についていえば、今日も、いわゆる香港問題で揺れていますよね。
この問題は、簡単にいってしまえば、香港で根付いていた民主主義的な思想や慣習が、中国大陸の本土の思想や慣習と相容れないことに端を発する問題です。
この香港が中国から割譲をされた理由は、アヘン戦争の結果なのです。
一方――
日本列島の人々についていえば、今日も、いわゆる基地問題で揺れていますよね。
この問題は、簡単にいってしまえば、外国の軍隊が日本列島へ侵入をし、その軍隊が長く駐留をするのに必要な軍事基地が作られたことに端を発する問題です。
その外国の軍隊が侵入をしてきた理由は、太平洋戦争の結果なのです。
もちろん――
中国大陸の人々にとって、アヘン戦争から今日に至るまで、実に様々なことがありましたし――
日本列島の人々にとって、太平洋戦争から今日に至るまで、実に様々なことがありました。
それらのことを1つひとつ論じていけば――
さらに様々なことがみえてくるでしょう。
が――
少なくとも東アジアにおける直近の1000年ほどの歴史をみれば――
それらのことは、どれも些細な曲折であるといってよいのではないか――
そう思うのです。