――明治政府は“国家百年の計”の教育を誤った。
ということを――
12月19日の『道草日記』で述べました。
その結果――
いわゆる、
――統帥権干犯問題
が生じ――
政権が迷走を始めた、と――
……
……
もちろん、
――統帥権干犯問題
が全てではありませんが――
なかなかに象徴的であるので――
ここでは、この問題のみを挙げておきたいと思います。
……
……
この、
――統帥権干犯問題
が日本史の表舞台に飛び出すのは昭和5年のことです。
この年、イギリスのロンドンで、日本・イギリス・アメリカ・フランス・イタリアの5か国が集まって、自国の海軍の戦力――補助艦の保有量――に制限をかけるための国際会議が開かれました。
ときの浜口雄幸内閣は、イギリスやアメリカとの協調を保ちつつ、自国の軍事費の削減を図り、海軍の最高司令部――軍令部――の反対を押し切って、軍縮条約に調印をします。
これに反発をした海軍が、
――浜口雄幸内閣が海軍の反対を押し切って軍縮条約に調印をしたのは、統帥権の侵害である。
と主張をし、倒閣運動を起こしたのです。
これは、おかしな主張でした。
――統帥権
が、天皇に固有の権限であったことは――
12月19日の『道草日記』で述べました。
よって、
――統帥権の侵害である!
と、天皇が主張をするのなら――
まあ、わかります。
が――
実際に主張をしたのは、海軍です――天皇ではありません。
当時は昭和天皇でした。
この年、29歳になっていらっしゃいました。
後年のご発言などをみるかぎり――
昭和天皇が、
――統帥権の侵害である!
と軽々しくお考えになることは、まず、ありえなかったでしょう。
そのことは、当時の人々には、よくわからなかったと思いますが――
いずれにせよ――
――統帥権の侵害である!
と発言をすることは、
――むしろ、天皇の発言権の侵害ではなかったか。
といえます。
こうした指摘は、揚げ足とりの類いかもしれませんが――
このことを措いても――
当時の海軍の主張は、
――身勝手に過ぎた。
と、僕は感じます。
政権の首脳部――内閣――が、海軍の戦力に制限をかけてでも、イギリスやアメリカと協調を保ち、軍事費の削減を行う必要がある、と判断をしたのです。
その判断に従うのが、
――当たり前
というものでした。
なぜか――
軍事は外交の一部であり、外交は政治の一部であり――内閣は政治をみていて、海軍は政治の一部である外交の、そのまた一部である軍事の更にそのまた一部を担っているに過ぎない――からです。
このように述べると、
――当時の社会情勢や思想背景を踏まえずに、現代の価値基準で評価を下してはならない。
と反駁をする向きもあるかもしれません。
が――
軍事が外交の一部であり、外交が政治の一部である――ということが、現代の価値基準に従属をしている事柄とは――
僕には思えません。
「軍事」「外交」「政治」といった言葉それ自体は、ともかくとして――
これら言葉が担う諸概念の関係性は、現代だけでなく、昭和前期や明治期、江戸期、織豊期のいずれにも通用をしうる当たり前の知見であったろうと思います。
この当たり前のことが――
当時の海軍の上層部には、わからなかったのでしょう。
あるいは――
わかっていても、わからないふりをしていて――
そのことを、特段、
――恥ずかしい
とも感じなかった――
……
……
当時の海軍の上層部は――
明治生まれが主です。
明治政府の下で育った世代です。
海軍という大組織の舵取りを任されていた人たちですから――
頭脳は明晰であったと考えられます。
知識や経験も豊富であったでしょう。
が――
何かが足りなかった――
……
……
おそらく――
それは、
――教養
です。
海軍の最高司令部の責任者――軍令部長――であった人物は、海軍の将校養成機関――海軍兵学校――の校長であったときに、入学式で、こう訓示をしたと伝わっています。
――当校は戦争に勝てばよいので、哲学も宗教も思想も必要ない。
実学の重要性を説きたかったものと想像をしますが――
教養のある人なら、もう少し違ったいいかたをしたでしょう。