マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

情報の処理の技術の発達を待つしかない

 ――ヒトの神経系の機能や人の精神の活動の実態に迫るには、神経細胞の機能に着目をするのではなく、無数の神経細胞の集合による“演算”や“配線”に着目をする必要がある。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 それら“演算”や“配線”に関わる無数の神経細胞の集合こそが――

 本当の意味での、

 ――神経単位(neuron)

 である、と――

 

 ここでいう、 

 ――演算

 とは、

 ――神経細胞の個々の状態の推移

 であり、

 ――配線

 とは、

 ――神経細胞うしの接続

 である、ということは――

 11月27日の『道草日記』で述べた通りです。

 

 そうした“演算”や“配線”に関わる神経細胞の数は膨大で、しかも、それら“神経単位”は、同時刻において、多岐にわたって複雑に併存をしていると考えられます。

 少なくとも、コンピュータの作動原理からの連想に基づけば、そのように考えるのが自然です。

 よって、

 ――神経単位

 の実態を調べる実験ないし観察を行うには、膨大な量の情報を時々刻々と解析にかけていく必要があります。

 ――時々刻々

 というのは、おそらく、

 ――ミリ秒(1 秒の 1,000 分の 1)単位

 です。

 

 残念ながら――

 現代の科学技術――情報の処理の技術――では――

 そのように多量で精緻な解析は行えません。

 

 今後、僕らが、

 ――神経単位

 の実態に迫るには、情報の処理の技術の発達を待つしかないのです。

 

 いつまで待てばよいのか――

 

 ――21世紀のうちに――

 という人がいます。

 

 そうかもしれません。

 

 あるいは、もっと早いかもしれない――あるいは、今の僕らが気づいていない何か深刻な困難に突き当たることで、もっと遅くなるのかもしれない――

 

 僕個人としては、

 ――もっと早い――

 のほうを切に願いますが――

 それでも、

 ――来年や再来年のうちに――

 というわけには、いかないでしょう。

 

 ある程度の歳月は必要です。

 短く見積もっても、

 ――数十年

 です。

 

 それまでは、

 ――神経単位

 という言葉を――

 僕は使いたくありません。

 

 ――神経元

 あるいは、

 ――ニューロン

 も同様です。

 

 それは――

 しょせんは、

 ――絵に描いた餅

 です。