マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“神経単位”に迫るには“演算”よりも“配線”――

 ――“神経単位(neuron)”は神経細胞のことではない。

 ということを、最近の『道草日記』で繰り返し述べてきました。

 

 では、何のことなのか――

 

 ……

 

 ……

 

 それは――

 12月10日の『道草日記』で述べたように、

 ――脳を含む神経系で行われる“演算”や“配線”の単位を担う神経細胞の集合

 です。

 

 ここでいう、

 ――演算

 とは、

 ――神経細胞の個々の状態の推移

 のことであり、

 ――配線

 とは、

 ――神経細胞うしの接続

 のことである、というのは――

 11月27日の『道草日記』で述べた通りです。

 

 これら“演算”や“配線”の単位は、おそらく――

 それら“演算”や“配線”の場である神経系の持ち主の主観的な体験によって規定をされます。

 

 その持ち主によって「1つ」と主観的に認識をされうる体験が単離をされ、その「1つ」の体験の発生に関与をする“演算”や“配線”を担う全ての神経細胞の集合が、

 ――神経単位

 に違いない――

 ということです。

 

 つまり、

 ――神経単位

 とは、

 ――神経細胞の集合

 なのですね。

 

 おそらくは、

 ――配線

 によって接続をされた神経細胞の集合です。

 

 その神経細胞の集合によって、単位となりうる“演算”が行われ――

 その“演算”の場である神経系の持ち主によって「1つ」と認識をされる体験が発生をする――

 おそらくは、そういうことです。

 

 よって――

 本当の意味で、

 ――神経単位

 の実態を明らかにするには、“演算”よりも“配線”のほうが重要なのです。

 

 神経細胞どうしが、どのように接続をしているのか――

 

 もちろん――

 それら神経細胞の一つひとつが、いつ、どのように状態を変えていくのかも、決して重要でないわけではありませんが――

 より本質的なのは――

 それら神経細胞の一つひとつが、どこで、どのように接続をしているのか――

 

 こちらのほうが、

 ――神経単位

 に迫るには、より重要なのです。