マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「演算」も「配線」も結局は比喩なので――

 ――“神経単位(neuron)”の実態を明らかにするには“演算”よりも“配線”のほうが重要である。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ここでいう、

 ――演算

 とは、

 ――神経細胞の個々の状態の推移

 のことで、

 ――配線

 とは、

 ――神経細胞うしの接続

 のことです。

 11月27日以降の『道草日記』で繰り返し述べている通りです。

 

 ところで――

 

 この、

 ――演算

 や、

 ――配線

 というのは――

 どう考えても、結局のところは、「比喩」と捉えるしかありません。

 

 脳を含む神経系を電算機(computer)に喩えた結果です。

 

 が――

 この比喩は、控えめにいっても、

 ――不自然

 です。

 

 誤解を恐れずにいえば、

 ――本末転倒

 です。

 

 電算機を作り上げたのは何か――

 

 脳を含む神経系――ヒトの神経系――人の精神――です。

 

 作り上げた客体の比喩を用い、作り上げた主体を表すというのは――

 やはり、

 (なんか、おかしい)

 というのが正直な感想です。

 

 では、どうするか――

 

 ――“神経単位”の実態を明らかにするには“演算”よりも“配線”のほうが重要である。

 というときの、

 ――演算

 や、

 ――配線

 を何と表すか――

 

 ……

 

 ……

 

 これが難しい……(笑

 

 ……

 

 ……

 

 思わず新語を造ってみたい気分になりますが――

 自分で勝手に造語をしたところで、虚しいだけですので――(笑

 

 既存の言葉を用いたいと思います。

 

 僕は、

 ――演算

 は、

 ――活動

 で、

 ――配線

 は、

 ――形成

 ではないかと考えます。

 

 つまり、

 ――“神経単位”の実態を明らかにするには“演算”よりも“配線”のほうが重要である。

 は、

 ――“神経単位”の実態を明らかにするには“活動”よりも“形成”のほうが重要である。

 となります。

 

 もう少し厳密に述べれば、

 ――“神経単位”の実態を明らかにするには“神経単位を担う神経細胞の集合の活動”よりも“神経単位を担う神経細胞の集合の形成”のほうが重要である。

 です。