現代の精神医療は、
――“配線”の乱れが“病的な体験”を引き起こしている。
との仮説に立脚をするのがよいであろう――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
やや詳しく述べるならば、
――“配線”の乱れが、“演算”に歪みをもたらし、“演算”の歪みが“病的な体験”を引き起こしている。
となります。
ここで留意を要するのは――
12月27日の『道草日記』で述べた通り、
――“病的な体験”は“神経単位(neuron)”の異常な“配線”で起こる正常な“演算”ではないか。
の考え方です。
つまり、
――歪んだ“演算”
は、一見、異常ではあるけれども――
実際には、“配線”の乱れに反応をしているだけで、“演算”としては正常である――
ということですね。
この、
――“配線”の乱れ
と――
それに応じた、
――“演算”の歪み
とは、おそらくは「全か無か」といった断続的な違いではなくて、なだらかで連続的な違いです。
いいかえると――
全てのヒトが、多かれ少なかれ、
――“配線”の乱れ
や、
――“演算”の歪み
をもっていて――
その程度の違いによって、“病的な体験”をしたりしなかったりするということです。
さらにいえば――
――“配線”の乱れ
が僅少であれば、
――“演算”の歪み
は矯正を受けるのかもしれません。
例えば――
神経細胞(nerve cell)どうしの誤った接続を、切断はできないまでも、無効にはできて――
その無効化によって、
――“配線”の乱れ
が、
――演算
に全く反映をされない――
ということは、あるかもしれません。
つまり、
――“配線”の乱れは全てのヒトがもっているけれども、その乱れが十分に僅少であれば、“演算”に歪みが生じることはない。
ということです。