マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“病的な体験”の原因を「“配線”の乱れ」で説く

 ――“配線”の乱れ

 の概念は、現代の精神医療に有効である――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 裏を返すと、

 ――“病的な体験”の原因を「“配線”の乱れ」で説く。

 ということです。

 

 ここでいう、

 ――“配線”の乱れ

 とは、

 ――病的な体験

 つまり、

 ――聴こえるはずのない声や音を聴いたり、事実や論理に明らかに反する確信を抱いたりすること

 の原因とみなしうる異常のことです。

 

 さらにいえば、

 ――配線

 とは、

 ――“神経単位(neuron)”を担う神経細胞の集合の形成

 のことで、

 ――神経単位

 とは、

 ――神経細胞(nerve cell)

 のことではなく、

 ――その神経系の持ち主によって「1つ」と主観的に認識をされうる体験の発生に関わる全ての神経細胞の集合

 のことです。

 

 つまり、

 ――“配線”の乱れ

 とは、

 ――“神経単位”を担う神経細胞どうしが異常な接続をしてしまうこと

 です。

 

 ただし――

 残念ながら――

 この、

 ――“配線”の乱れ

 は、現代の自然科学・医学によって特定をされているわけではありません。

 

 そのような乱れが本当に存在をしているのか、あるいは、“病的な体験”は本当に“配線”の乱れから生じているのか――

 そういったことが、きちんと確認をされているわけではないのです。

 

 が――

 他に有効そうな概念は見当たらない――

 

 少なくとも僕が考える限り、

 ――“配線”の乱れ

 以上に、

 ――病的な体験

 の成り立ちを巧く説ける概念は、今のところ、見当たりません。

 

 よって――

 現代の精神医療は、

 ――“配線”の乱れが“病的な体験”を引き起こしている。

 との仮説に立脚をするのがよいであろう、と――

 僕は思います。

 

 もちろん――

 この仮説に立脚をすることで何か深刻な実害が精神医療の現場に出てきそうであるならば――

 この仮説をすぐに捨て去る必要があります。

 

 が――

 今のところ、そうした実害は出てこなさそうです。

 

 ――“配線”の乱れが“病的な体験”を引き起こしている。

 との仮説が導くことは、

 ――できるだけ早急に、必要最小限の薬剤を継続的に用いることによって、“配線”の乱れをできるだけ減らしていく。

 という治療方針です。

 

 この治療方針に何か深刻な実害の危険性を感じとる医師・医学者は――

 21世紀序盤の現代、殆どいないといってよいでしょう。