精神医療における旧来の病因分類について、
――「心因」は存在をしない。
との仮定――
および
――「外因」も「内因」も根源は同じである。
との仮定に立つと、
――“病的な体験”の原因は全て体因である。
との結論に至る――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
そして――
その
――体因
の実態こそが、
――“配線”の乱れ
ではないか、と――
……
……
少し話を進めすぎたようです。
まずは、
――外因
と、
――内因
とが根源的には同じであり――
その実態は、
――“配線”の乱れ
である――
とは、どういうことかを述べましょう。
……
……
――外因による“病的な体験”
とは、脳に明らかに見出せる原因――脳の損傷や脳に悪影響を及ぼす物質の侵入など――によって引き起こされる“病的な体験”であり、
――内因による“病的な体験”
とは、明らかに心因ではなく、また、外因でもないけれど、脳に何らかの変化――恐らくは遺伝的な異常に基づく変化――の生じたことが原因で引き起こされていると考えられる“病的な体験”である――
ということは、1月12日の『道草日記』で述べた通りです。
よって、
――外因
も、
――内因
も、どちらも、
――“配線”の乱れ
が実態であるというのは――
例えば、脳に損傷が起こると――具体的には、脳卒中を患ったり頭部外傷を負ったりすると――その損傷の影響で“配線”が乱れうるということです。
損傷の当該部位で“配線”が乱れるというのは、ほとんどの場合は、“配線”が途絶えるということでしょう。
が――
おそらく、それだけではなくて――
その損傷の当該部位の周辺――ひょっとすると脳の全ての部位――で“配線”が乱れるのです。
あるいは――
脳に悪影響を及ぼす物質の侵入が起こると――例えば、特定の薬剤を継続的に飲み続けてしまうと――脳の特定の部位ないし全ての部位で“配線”が乱れるということも、大いに考えられます。
あるいは――
生まれつき何らかの遺伝的な異常があるために“配線”が乱れやすくなっている、ということも十分に考えられます。
そのような脳では、脳の損傷や脳に悪影響を及ぼす物質の侵入といった事象が起きなくても――
おそらくは、脳の発達に伴い、“配線”が自然と乱れていくのでしょう。
このように考えていくと、
――外因
と、
――内因
とに本質的な差異はない、とみなすのが自然である――
という結論になります。