マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“病的な体験”の原因は全て体因ではないか

 精神医療における旧来の病因分類は、

 ――おそらくは間違っている。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 おとといの『道草日記』で述べたように――

 精神医療における旧来の病因分類とは、

  1)心因

  2)外因

  3)内因

 のことです。

 

 繰り返しますと、

 ――心因

 とは、

 ――純粋に精神的な原因

 で、

 ――外因

 とは、

 ――脳に明らかに見出せる原因

 で、

 ――内因

 とは、

 ――心因ではなく、かつ外因でもないが、脳に生じている何らかの原因

 です。

 

 このように記せば一目瞭然なのですが――

 この病因分類は十分に厳密な吟味を経て練り上げられたものではありません。

 

 未知の事柄を、とりあえず経験と直感とに基づいて仕分けてみた――

 といった程度のものです。

 

 この病因分類を、

 ――わかりやすい

 と評する精神医学者がいるようですが――

 僕は、わかりやすいとは全く思いません。

 

 医学生であった頃――

 この病因分類を初めて知ったときに、その意図を自分なりに見出そうと懸命になった記憶があります。

 

 そんなふうにして頑張って理解を重ね、納得に至った頭で、再度この病因分類を振り返れば、たしかに、

 (わかりやすい)

 と感じられるのですが――

 一度は納得に至っていることなのですから――

 わかりやすく感じられるのは、当たり前ですよね。

 

 医師になって精神医療の現場に出て――

 実際に多くの“病的な体験”を見聞きするようになった際に――

 まず、

 (「心因」というのは、たぶんウソだな)

 と感じ始めました。

 

 心因による“病的な体験”というのが、もし本当にあるとしたら――

 それは、

 (実は、まったく病的ではない)

 と感じるようになったのです。

 

 次いで、

 (「外因」と「内因」との区別は、実は、かなり曖昧だな)

 と感じ始めました。

 

 (「外因」も「内因」も根っこは同じなのではないか)

 と感じるようになったのです。

 

 この旧来の病因分類では、

 ――外因

 と、

 ――内因

 とを併せて、

 ――体因

 といったり、

 ――身体因

 といったりもします。

 

 ――「心因」はウソ――

 というのと、

 ――「外因」も「内因」も根っこは同じ――

 というのとを考え併せたら、

 ――“病的な体験”の原因は実は全て体因である。

 という結論になります。

 

 その

 ――体因

 の実態こそが、

 ――“配線”の乱れ

 ではないか、と――

 僕は思っています。