マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

精神医療における旧来の病因分類の考え

 現代の精神医療では、

 ――“配線”の乱れが“病的な体験”を引き起こしている。

 ということを前提に、

 ――“配線”の乱れは全てのヒトがもっているけれども、その乱れが十分に僅少であれば、体に強く負担がかかっているときであっても、“演算”に歪みが生じることはなく、そこまで十分に僅少でなければ、体に強く負担がかかっているときに限って、“演算“に歪みが生じてしまう。

 と考えることが有効ではないか――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 こうした考えは――

 精神医療における旧来の病因分類の考えとは、だいぶズレています。

 

 旧来の病因分類の考えによれば、“病的な体験”は次の3種類の原因によって起こるとされます。

  1)心因

  2)外因

  3)内因

 

 ――心因による“病的な体験”

 とは、純粋に精神的な原因――痛切な悲哀や強烈な恐怖などの体験――によって引き起こされる“病的な体験”です。

 例えば、痛切な悲哀を覚えて以降、その悲哀を何年も引きずるような体験や、強烈な恐怖を覚えて以降、些細な懸念で不安が高まるような体験です。

 通常、悲哀の感情が持続をするのは長くても数週間くらいで、数年にわたって持続をする場合は、

 ――病的

 とみなされます。

 また、ある事物について恐怖を覚えるあまり、それと全く関係のない事物に関しても不安を抱くような場合も、

 ――病的

 とみなされます。

 

 ――外因による“病的な体験”

 とは、脳に明らかに見出せる原因――脳の損傷や脳に悪影響を及ぼす物質の侵入など――によって引き起こされる“病的な体験”です。

 例えば、脳卒中を患ったり頭部外傷を負ったりした後で、聴こえないはずの声が聴こえるようになったり、見えないはずのものが見えるようになったりすることや、特定の種類の薬剤を継続的に飲むことで異様に感情が高ぶったり、わけもなく気分が落ち込んだりすることです。

 

 ――内因による“病的な体験”

 とは、明らかに心因ではなく、また、外因でもないけれど、脳に何らかの変化――恐らくは遺伝的な異常に基づく変化――の生じたことが原因で引き起こされていると考えられる“病的な体験”です。

 例えば、とくにこれといった契機がないのに、聴こえるはずの声が聴こえるようになったり、事実や論理に基づかない奇妙な信念にとらわれるようになったり、気分の浮き沈みが異様に激しくなったり、わけもなく持続的な不安に苛まれるようになったりすることです。

 

 こうした精神医療における旧来の病因分類の考えと、

 ――“配線”の乱れが“病的な体験”を引き起こしている。

 との考えとは――

 おそらく、根本的に相容れません。

 

 このことを十分に弁えた上で――

 僕は、

 ――“配線”の乱れが“病的な体験”を引き起こしている。

 と考えるのがよいと思っています。