現代の精神医療の現実的な目標は、
――“配線”の乱れをできるだけ減らす。
である――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
そのために――
正常な“演算”をあえて薬剤で抑え込んでいるのである、と――
……
……
ここでいう、
――“配線”の乱れ
とは、
――病的な体験
つまり、
――聴こえるはずのない声や音を聴いたり、事実や論理に明らかに反する確信を抱いたりすること
の原因とみなしうる異常のことです。
このような異常が“配線”にあるならば、当然ながら、その“配線”の上で行われる“演算”は、少なくとも正常な“配線”の上で行われる“演算”とは、かなり異なっているはずです。
おそらく、“演算”として、何かが過剰になっているのでしょう。
が――
その過剰な“演算”は、“演算”としては、あくまでも正常であるはずなのですね。
異常な“配線”の上で行われる“演算”であるから、一見、異常にみえるだけで――
実際には正常に稼働をしているに違いないのです。
とはいえ――
その正常な“演算”をそのままにしていると、“配線”の異常をさらに酷くするでしょう――熱機関が何らかの異常で熱くなりすぎているときに、その熱機関をそのまま動かし続けていたら、さらに異常が酷くなるように――
よって――
その正常な“演算”をあえて薬剤で抑え込んで、“配線”の異常が、少なくとも、それ以上は酷くならないようにする――できることなら、少しでも自然治癒に導いていく――
それこそが、現代の精神医療の現場において、はからずも目指されてきた目標ではなかったか――
そんなふうに、僕は考えます。
……
……
現代の精神医療の現場では、
――薬剤の継続使用によって直接的にもたらされるのは、病的な状態の是正ではなく、病的な状態への人工的な修飾である。
との考えがあります。
つまり、
――薬は、酷く病的な状態を少しマシな状態へ切り替え、自然治癒を促しているにすぎない。
との考えです。
この考えに基づけば、
――薬剤の継続使用は少なければ少ないほどによい。
との結論に至ります。
そして――
この結論は、実際の精神医療の現場で得られる経験則と概ね合致をする命題です。
薬剤は、一般に、
――病的な体験
を十分に和らげる量の下限を目指して調整をされます。
こうした治療方針を多少なりとも理論的に支える上で、
――“配線”の乱れ
の概念は劇的に有効です。