精神医療における旧来の病因分類の考えと、
――“配線”の乱れが“病的な体験”を引き起こしている。
との考えとは、おそらく相容れないのであるけれど――
それでも、
――“配線”の乱れが“病的な体験”を引き起こしている。
と考えることが有効ではないか――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
そのように考える第一の理由は――
精神医療における旧来の病因分類が、
――おそらくは間違っている。
と、医学の世界でみなされつつある現状です。
とりわけ決定的なのは、
――心因による“病的な体験”
の扱いです。
今日では――
おそらく多くの精神科医が、
――心因による“病的な体験”
は存在をしていない――
と感じています。
例えば、
――旧来、心因による“病的な体験”とみられていた異常は、実は元来わかりづらい形で内因ないし外因による“病的な体験”をしていて、それが、心因とみなされる事象などを契機として、顕在化をされたものにすぎない。
と考え始めている――
ということです。
また、
――外因による“病的な体験”
と、
――内因による“病的な体験”
とを厳密に見分けることは不可能である――
と感じている精神科医も少なくないでしょう。
例えば――
特定の種類の薬剤を同じように継続的に飲んでも、外因による“病的な体験”をする人としない人とがいるようなのです。
この差は――
おそらくは、
――内因の有無の差
でしょう。
つまり、
――外因による“病的な体験”をするかしないかは、内因の有無によって決まる。
ということです。
これでは、
1)心因
2)外因
3)内因
と、わざわざ分類をした意義が乏しくなってしまう――
それゆえに――
精神医療における旧来の病因分類は、
――おそらくは間違っている。
と、みなされつつあるのです。