マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「新奇の病因分類」の「新奇」の意味

 精神医療における新奇の病因分類として、

 ――外因ないし内因――つまり、体因――こそが、唯一の病因である。

 との主張を、きのうの『道草日記』で示しました。

 

 ここでいう、

 ――新奇の病因分類

 について――

 この「新奇」を、

 ――新規

 としなかったことには、2つ訳があります。

 

 一つは、

 ――「唯一の病因である」つまり「病因が1つしかない」といっているのだから、「病因分類」というのは明らかに奇妙である。

 という意味です。

 

 もう一つは、

 ――今後、唯一の病因である体因の実態が明らかになるにつれ、その体因が細かく分類をされていき、そのうちに、奇(く)しくも新たな病院分類が提案をされるに至るであろう。

 という意味です。

 

 ……

 

 ……

 

 ここでいう、

 ――外因ないし内因――つまり、体因――

 は――

 1月14日以降の『道草日記』で繰り返し述べてきたように、

 ――“配線”の乱れ

 を指しています。

 

 つまり、

 ――体因の実態が明らかになるにつれ、その体因が細かく分類をされていく。

 というのは、

 ――“配線”の実態が明らかになるにつれ、その乱れの実態も明らかになり、ひいては、その乱れ方も細かく分類をされていく。

 ということです。

 

 例えば――

 頭部外傷などによって脳に明らかな損傷が生じる結果、“配線”が乱れる場合と、神経細胞(nerve cell)の1つひとつが病的に変化をしていく結果、“配線”が乱れる場合とでは――

 その乱れ方は大いに異なるはずです。

 

 もちろん――

 その乱れ方は2つだけではありません。

 

 例えば、脳にとって有害な物質が脳に侵入をする結果、“配線”が乱れる場合など、他にも数多く存在をしているに違いありません。

 

 が――

 その殆ど全てを、21世紀序盤の時代を生きる僕らは、まだ知らないのです。