マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

心因の実態:“演算”の歪み

 精神医療における旧来の病因分類について――

 外因と内因とに本質的な差異はなく、どちらも、根源的には、

 ――体因

 つまり、

 ――非心因

 とみなせるのではないか、ということを――

 

 そして――

 その実態は、

 ――“配線”の乱れ

 ではないか、ということを――

 

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 このように考えていくと――

 自然な成り行きとして、

 ――では、心因の実態は、何なのか。

 ということが気になってきます。

 

 僕は、それを、

 ――“演算”の歪み

 であろう、と――

 考えたいのです。

 

 ……

 

 ……

 

 

 ――“演算”の歪み

 については――

 1月10日の『道草日記』で述べました。

 

 ――“配線”の乱れが、“演算”に歪みをもたらし、“演算”の歪みが“病的な体験”を引き起こしている。

 との考えから派生をしている概念です。

 

 僕は、

 ――“演算”の歪み

 は、

 ――“配線”の乱れ

 がなくても起こりうる、と――

 考えています。

 

 どういうことか――

 

 ……

 

 ……

 

 2021年11月27日以降の『道草日記』で繰り返し述べてきたように、

 ――演算

 とは、

 ――神経細胞(nerve cell)の個々の状態の推移

 で、

 ――配線

 とは、

 ――神経細胞うしの接続

 です。

 

 個々の神経細胞は、いかに状態を変えていくのかというと――

 宿主の感覚器が受容をする感覚と、その感覚への反応、および、その反応への反応に即して変えていく――

 といえます。

 

 よって――

 感覚器が受容をする感覚の種類が過度に偏っていたり、その感覚への反応が過剰に強かったり弱かったりすれば――

 神経細胞の個々の状態の推移は、神経細胞うしの接続に特段の異常がなくても――つまり、“配線”の乱れがなくても――通常の推移とは明らかに異なっているはずです。

 

 その推移を、

 ――“演算”の歪み

 とみなすことは――

 それほど不自然ではないでしょう。

 

 このように考えていくと、

 ――心因

 というのは、

 ――“演算”の歪み

 であり、

 ――外因ないし内因――つまり、体因――

 というのは、

 ――“配線”の乱れ

 である――

 との予想に至ります。