――“病的な体験”の自然治癒では、望ましい機序(mechanism)ではなく、あまり望ましくない機序が中心になっているのではないか。
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
具体的には――
――誤った接続の切断
や、
――誤った接続の無効化
ではなく――
――新たな接続での代替
や、
――誤っていない接続の相対的な強化
によって、“病的な体験”の自然治癒が進んでいるのではないか――
ということです。
その根拠は、
――“病的な体験”は、ひとたび自覚をされると、かなり高い確率で永続をする。
という経験的な事実です。
ごくまれに、永続をすることなく、完全に消失をすることがあるのですが――
それは、本当に、
――ごくまれ
です。
――誤った接続の切断
や、
――誤った接続の無効化
といった機序が中心となって自然治癒が進んでいるのであれば――
ひとたび自覚をされた“病的な体験”が完全に消失をするということが、もっと高い確率で起こっているに違いないのです。
実際の“病的な体験”は、完全に消失をするのではなく、ある程度の減弱をするにとどまります。
例えば、発病の当初は、気になって気になって仕方がなかった“病的な体験”が、歳月が流れるにつれて、だんだん気にならなくなっていく、ということです。
残念なことに――
気にはならなくなっていくけれども、完全に消失をするわけではないのですね。
このことから、
――誤った接続
は、切断をされるわけでも無効化をされるわけでもなく――
ただ相対的に弱化をされていくだけであろう、と――
考えることができます。
おそらく、
――新たな接続
が生じたり、
――誤っていない接続
が強化をされたりすることによって、
――誤った接続
による悪影響が、しだいに薄れていく――
ということです。