織田(おだ)信長(のぶなが)が――
本能寺(ほんのうじ)の変の前夜――
嫡子・織田信忠(のぶただ)から受けていたかもしれない諫め事には2つ――
1つは、軍の最高指揮権に関わることである。
織田軍の最高指揮権も、少しずつ信忠へ預けていった。
その後――
信忠が織田軍の総大将として出征をすることが増えていく。
最初は、
――試験
の意味合いが強かったろう。
その“試験”に――
信忠は合格を続けた。
本能寺の変の直前――甲斐(かい)・武田(たけだ)攻めの後――
信忠は、織田軍の最高指揮権をほぼ掌中に収めたかにみえた。
少なくとも織田家内外の者たちの多くが――
そうした見方に敏感になったはずである。
が――
それに、あまり敏感になれない者がいた。
信長である。
本能寺の変の直前――
備中(びっちゅう)で毛利(もうり)攻めに当たっていた羽柴(はしば)秀吉(ひでよし)は、毛利軍の本隊が出て来る気配を察し――
信長に、信長自身の出馬を求めたらしい。
その懇請に――
信長は、二つ返事で応じたようだ。
本来ならば――
返事をする前に――
信忠の意向を確かめる必要があった。
それを確かめることなく、自身の出馬を即座に決めたことは――
織田軍の最高指揮権を掌中に収めつつあるとみられていた人物の体面を傷つける。
そのことに――
信忠は気づいた。
そして――
本能寺の変の前夜――
信忠は、父の面前で――
そのことに敢えて触れ、次にように迫ったのではあるまいか。
――織田軍の最高指揮権は今、誰が握っているのか。
もし、信長が握っているのであれば――
自分は一部将として働く――総大将は、あくまでも信長――
もし自分が握っているのであれば――
……
……
信忠は、父に従順な子であったという。
あからさまに、
――勝手なことをするな。
とは、いわなかったはずだ。
が――
それに準じる言葉を、慎重かつ丁重に、述べた可能性はある。
それを聞き――
父は何を思ったか。
……
……
『随に――』