マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

本能寺(7)

 織田(おだ)信長(のぶなが)が――

 本能寺(ほんのうじ)の変の前夜――

 嫡子・織田信忠のぶただ)から受けていたかもしれない諫め事は2つ――

 

 軍の最高指揮権に関わることと――

 朝廷が司っていた暦(こよみ)に関わることと――

 

 ……

 

 ……

 

 いったい、どちらの諫め事であったのか――

 

 ……

 

 ……

 

 信忠は概して父に従順であったが――

 決して父のいいなりではなかった。

 

 督戦に来た父に対し――

 作戦を巡って抗弁をすることもあったらしい。

 

 その点を踏まえれば――

 諫め事は、

 ――軍の最高指揮権に関わること

 であったと思われる。

 

 が――

 いつの時代も――

 軍事は政治のためにある。

 

 仮に諫め事が、

 ――朝廷が司っていた暦に関わること

 であったとしても――

 諫められた方は、

 ――軍事面での挑戦

 と受け止めたであろう。

 

 嫡子・信忠の諫言に――

 父・信長は何を思ったか。

 

 ……

 

 ……

 

 ――さては別心(べつしん)か。

 

 そう思ったとしても――

 不思議はない。

 

 ……

 

 ……

 

 本能寺の変の折――

 明智(あけち)勢の先鋒が討ち入った際に――

 信長と、その小姓・森(もり)成利(なりとし)との間で交わされたとされる有名な会話――

 

 「こは謀反(むほん)か。いかなる者の企てぞ」

 「明智が者と見え申し候(そうろう)」

 「是非に及ばず」

 

 これは――

 実は――

 以下のようではなかったか。

 

 「こは謀反か。いかなる者の企てぞ。さては城之介(じょうのすけ)が別心か」

 「明智が者と見え申し候」

 「……」

 「……」

 「是非に及ばず」

 

 ……

 

 ……

 

 信長は、寄せ手を信忠の手勢と一度は思ったのだ。

 

 ――倅(せがれ)が相手であれば、うまく収めることもできる。

 

 親子喧嘩で自軍の兵力に損耗をきたすのは――

 愚かなことだ。

 

 ――このまま隠居でよい。あとを全て倅に任せる。

 

 そう一度は思ったのかもしれぬ。

 

 が――

 寄せ手が明智勢であれば――

 そうはいかぬ。

 

 相手は倅ではない。

 これは親子喧嘩ではない。

 

 そうであるならば――

 

 ――是非に及ばぬ。

 

 しばし戦った後――

 潔く自刃を遂げねばならぬ。

 

 その「是非に及ばぬ」には――

 信長の無念が結実をしていた。

 

 『随に――』