マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

治世の信長

 16世紀の日本を生きた織田(おだ)信長(のぶなが)は――

 2世紀から3世紀の中国を生きた曹操(そうそう)と同様、

 ――治世の能臣(のうしん)、乱世の奸雄(かんゆう)

 といえるのか。

 

 ……

 

 ……

 

 曹操との共通点――能力主義の人材登用、若年期の放蕩性癖、乱世終息への希求、残虐性の徹底など――をみる限り――

 信長は、大いに、

 ――乱世の奸雄

 である。

 

 が――

 

 相違点をみれば――

 疑問が浮かぶ。

 

 ――治世の信長は、どうであったか。

 と――

 

 ……

 

 ……

 

 曹操には詩人の才があった。

 その才で治世を楽しむ術を知っていた。

 

 信長は、どうか。

 

 ……

 

 ……

 

 信長に芸能の才がなかったとはいわぬ。

 

 ――人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり。

 の小唄の一節を好んだ逸話は、あまりにも有名だ。

 

 が――

 信長は、芸能を好み、愛でるのみで、芸能を創り、残すことはなかった。

 

 戦地でも詩作に勤(いそ)しみ、楽府(がふ)の代表作が伝わる曹操とは――

 異なる。

 

 信長は――

 曹操のように――

 芸能で治世を楽しむ術を知らなかったのではあるまいか。

 

 そうであるならば――

 

 ――乱世の奸雄

 とはたりえても、

 ――治世の能臣

 とはたりえなかったに違いない。

 

 『随に――』