マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

曹操と信長と

 日本に――

 中国・三国時代の魏(ぎ)の曹操(そうそう)が如き人物を求めるならば――

 

 ――織田(おだ)信長(のぶなが)

 であろう。

 

 16世紀を生きた。

 

 ……

 

 ……

 

 曹操と信長と――

 いくつか共通点がある。

 

 一つは――

 人を能力のみで測り、用いたこと――

 

 たとえ自身を一度は裏切っても――

 有能でさえあれば――

 これを赦し、再び用いた。

 

 もう一つは――

 若い頃に放蕩を好み、素行を乱していたこと――

 

 あえて年長者の助言を容れず――

 自身が「良い」と思う流儀を貫いた。

 

 あるいは、

 ――乱世

 の終息を目指し――

 その事業を半ば成し遂げえたこと――

 

 頭抜けた武力を握り、同時代の政(まつりごと)の枢要を占めた。

 

 あるいは、

 ――残虐性

 である。

 

 自身に歯向かい続ける者は、容赦なく切り捨てた。

 ときに大量虐殺をも厭わなかった。

 

 ……

 

 ……

 

 相違点もある。

 

 一つは、

 ――詩作

 などの文芸創作だ。

 

 信長には、文芸創作に精力的に励んだ記録は伝わらぬ。

 

 もう一つは、

 ――最期

 の迎え方である。

 

 どちらも、志を半ばに斃(たお)れたが――

 曹操が天寿を全うしえたのに対し、信長は家臣の裏切りに遭い、絶望的に劣勢の戦いの中、敗死を遂げた。

 

 ……

 

 ……

 

 さて――

 

 この両者は、どこまで似ているか――

 

 あるいは――

 信長は、

 ――治世の能臣(のうしん)、乱世の奸雄(かんゆう)

 といえるのか――

 

 ……

 

 ……

 

 『随に――』