マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

思考の視野(1)

 織田(おだ)信長(のぶなが)は、

 ――愚鈍

 ではなかったが、

 ――非常識

 ではあった。

 

 ――非常識

 がゆえに――

 見方によっては、

 ――愚鈍

 にみえた。

 

 ――愚鈍

 ではないが、

 ――愚鈍

 にみえはする――

 

 それは――

 おそらく、

 ――思考の視野

 の性質による。

 

 ……

 

 ……

 

 ――思考の視野

 には――

 少なくとも2つの尺度が当てはまる。

 

 ――視野の間口(まぐち)

 と、

 ――視野の奥行(おくゆき)

 とである。

 

 一般に、

 ――視野の間口

 が広ければ、

 ――利発

 であり――

 狭ければ、

 ――愚鈍

 である。

 

 また、

 ――視野の奥行

 が深ければ、

 ――鋭利

 であり――

 浅ければ、

 ――短慮

 である。

 

 ――利発

 な者は、

 ――鋭利

 であり、

 ――愚鈍

 な者は、

 ――短慮

 である。

 

 が――

 信長は違う。

 

 信長は、

 ――利発

 ではないが、

 ――鋭利

 であり、

 ――愚鈍

 ではないが、

 ――短慮

 である。

 

 ――視野の間口

 が広い、とは――

 いったん目前の文脈から離れ、様々な常識に素早く配慮をし、それらを踏まえ、深謀遠慮を巡らせられる――

 ということである。

 

 また、

 ――視野の間口

 が狭い、とは――

 常識が不足ないしは偏屈をしているために、いつまでも目前の文脈から離れられず、軽率短慮に終始をする――

 ということである。

 

 信長は違う。

 

 信長の常識は、不足も偏屈もしていない。

 深謀遠慮を巡らせるのに十分な豊かさと確かさとを備えていた。

 

 信長は、

 ――非常識

 ではあったが――

 ――無・常識

 ではなかった。

 

 常識を弁えつつも、顧みなかった。

 

 信長の、

 ――視野の間口

 は狭い。

 

 どういうわけか目前の文脈に拘泥をする。

 いつまでも離れられぬ。

 

 その常識の豊かさや確かさを活かすことが、なぜか、できぬ。

 

 が――

 その、

 ――視野の奥行

 は深かった。

 

 なぜか、“間口”が狭いにも関わらず、“奥行”は深い。

 

 問題の本質を的確に見出し、確実に手繰り寄せ、峻烈に取り除く――

 それだけの、

 ――視野の奥行

 が――

 信長にはあった。

 

 ゆえに、

 ――戦国のうつけ

 となった。

 

 もし――

 いま少し、

 ――視野の間口

 が、あれば――

 信長は、

 ――戦国のうつけ

 とはならなかったろう。

 

 本能寺(ほんのうじ)の悲劇もなかった。

 

 『随に――』