マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

思考の視野(2)

 ――思考の視野

 には、

 ――間口(まぐち)

 と、

 ――奥行(おくゆき)

 とがある。

 

 一般に、

 ――視野の間口

 を広くするのは、

 ――常識

 の豊かさや偏りのなさである。

 

 ――常識

 が貧しかったり、偏ったりしていれば、

 ――視野の間口

 は狭くなる。

 

 また、

 ――視野の奥行

 を深くするのは、

 ――意志

 の強さや移ろいのなさである。

 

 ――意志

 が弱かったり、移ろったりすれば、

 ――視野の奥行

 は浅くなる。

 

 普通――

 人は、

 ――視野の間口

 が広ければ、

 ――視野の奥行

 は深く、

 ――視野の間口

 が狭ければ、

 ――視野の奥行

 は浅い。

 

 思考の原理である。

 

 が――

 この原理は、常に当てはまるわけではない。

 

 どんなに豊かで偏りのない、

 ――常識

 を備えている人でも――

 つい、

 ――視野の間口

 が狭くなってしまう時がある。

 

 その人の、

 ――思考の視野

 に何か特別な事物が存在をしていて――

 それが――

 その人の注意を強烈に惹きつける時である。

 

 そのような、

 ――何か特別な事物

 の典型例が、

 ――恋

 である。

 

 ――恋は盲目――

 という。

 

 厳密には正しくない。

 

 正しくは、

 ――恋は“視野の間口”を狭める。

 である。

 

 以上は一般論である。

 

 世の中には――

 この一般論に当てはまらぬ人がいる。

 

 ――思考の視野

 に、そのような“何か特別な事物”が存在をしているわけではなく、特に珍しくもない事物の一つが存在をしているだけなのに――

 それが――

 その人の注意を強烈に惹きつけてしまうのである。

 

 その、

 ――注意の強烈な惹きつけ

 は――

 その人の生涯の束の間の一時に起こるのではなく――

 その人の生涯の殆ど全ての日常で起こる。

 

 ゆえに――

 そのような人は、

 ――視野の間口

 が狭いと決めつけられる。

 

 つまり、

 ――常識

 がない――

 と誤解をされる。

 

 実際には、

 ――常識

 はある。

 

 ただ――

 その、

 ――常識

 に囚われにくいだけである。

 

 そのような人は――

 この世の中に――

 一定の割合で生まれ出て、相当数が暮らしている。

 

 そんな一人が織田(おだ)信長(のぶなが)ではなかったか――

 

 そのように考えると――

 信長の偉業や横死の背景が、よくわかる。

 

 信長は、

 ――不世出の天才

 でも、

 ――人非人の魔王

 でもない。

 

 ただ、

 ――思考の視野

 の性質が――

 他の人たちと違っただけである。

 

 『随に――』