マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「自然」に対義語はあるか

 ――「自然」の対義語は何か。

 ということを――
 考えています。

 辞書などの助けを借りると――
 ひとまず――
 それは、

 ――人工

 ないし、

 ――不自然

 のどちらか――
 あるいは、それら双方と考えることができそうです。

 とはいえ――

 これら2つの言葉のうち――
 「不自然」は――
 「自然」の頭に否定語の「不」を付けただけですので――

 論理的には――
 たしかに「自然」の対義語ではありますが――

 このような論理的構築物様の言葉を「対義語」とみなしてよいのかどうか――
 疑問です。

 では――
 「自然」の対義語は「人工」なのか、というと――

 そうでもありません。

 「人工」とは――
 先ほどと同様に、辞書などの助けを借りると、

 ――人の作為の及ぶ事物

 くらいの意味であることがわかります。

 が――
 そもそも、その「人」が自然の一部です。

 少なくとも――
 生物種としてのヒトの体は、自然の一部です。

 人は、常識論的には、体と心とから成り――
 人の心は、今日の科学的知見に基づけば、ヒトの体――とりわけ、神経系――が生み出していると考えられますから――

 結局のところ、

 ――人は自然の一部である。

 とみなすのが――
 いちばん収まりがよいのです。

 その“自然の一部”である人の作為が自然でなくて何なのだ――
 という主張が、

 ――「自然」の対義語は何か。

 の問いに答えるのを難しくしています。

 ……

 ……

 おそらく――

 「自然」に対義語はありません。

 強いていえば――
 それは、「不自然」です。

 が――
 この世界に不自然な事物は――
 実は、いっさい存在しません。

 不自然が顕現しうるのは――
 人の心の中だけです。

 ……

 ……

 よって――

 「人工」は、「自然」の対義語ではないのです。

 あらゆる人工物は――
 “自然の一部”である人の作為に由来していますから――

 人工物は――
 すべて自然なのです。

 摩天楼も人工衛星も――
 コンピュータもインターネットも――
 核兵器も原子炉も――
 すべては自然です。

 それらを自然でないとする主張は――

 おそらくは――
 人の思いあがりです。