マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

世間話は創造的である

 僕のいう、

 ――逸脱的思考

 は、

 ――挨拶のスピーチ

 や、

 ――世間話の会話

 で威力を発揮する――

 ということを――

 3日前や2日前の『道草日記』で述べました。

 

 一方――

 きのうの『道草日記』では、

 ――僕のいう“逸脱的思考”は「創造的思考」と呼びうる思考である。

 と述べました。

 

 ということは――

 

 ……

 

 ……

 

 ――挨拶のスピーチ

 や、

 ――世間話の会話

 は、

 ――創造

 である――

 ということになりますが――

 

 本当でしょうか。

  

 ――挨拶のスピーチ

 は、ともかく――

 ただの、

 ――世間話の会話

 を、

 ――創造

 と呼んでよいものでしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 僕は、

 ――世間話は十分に創造的である。

 と考えています。

 

 あれは、

 ――創造

 以外の何ものでもありませんよ。

 

 2日前の『道草日記』で述べたように――

 世間話というのは――

 相手との関係を良好に保つためだけに行う会話です。

 

 当たり障りのない話題を見つけつつ、互いに不愉快な思いをさせないように気を付けながら、ひたすら会話を続けていく――

 

 つまり、

 ――世間話の会話

 で何が創造をされているのかといえば――

 

 それは――

 表層的には、

 ――雑談

 ですが――

 深層的には、

 ――対人関係

 なのですね。

 

 見ず知らずの二人が、世間話を始めることで、互いに知人となり――

 知人同士の二人が、世間話を深めることで、互いに友人となる――

 

 その際に築かれる対人関係は――

 紛れもなく、

 ――創造の産物

 つまり、

 ――既存の事物が新たに組み合わされることで生じた事物

 といえます。

 

 ――世間話

 といえば――

 井戸端会議に入れ込む中高年女性や床屋談義に興じる中高年男性を想像しがちですね。

 

 そうです。

 

 それら中高年の男女が行っていることは――

 まぎれもなく、

 ――創造

 以外の何ものでもないのです。

 

 ……

 

 ……

 

 が――

 もちろん――

 

 ――創造

 にも、

 ――質の良い創造

 と、

 ――質の良くない創造

 とがあります。

 

 世の井戸端会議や床屋談義で、つねに“質の良い創造”がなされているわけではないことは――

 あらためて指摘するまでもありません。