織田(おだ)信長(のぶなが)は――
本能寺(ほんのうじ)で明智(あけち)光秀(みつひで)の急襲を受けたとき――
最初は、雑兵らの喧嘩と思ったらしい。
信長だけではない。
近習の筆頭で仕えていた森(もり)成利(なりとし)も――
そう思ったという。
成利は、信長の小姓で、
――森(もり)蘭丸(らんまる)
の通称で知られる。
やがて、鉄砲の音が聴こえるに至り――
信長と成利との間で、後世、有名となる会話が交わされる。
――こは謀反(むほん)か。いかなる者の企てぞ。
――明智が者と見え申し候(そうろう)。
――是非に及ばず。
2人の会話を聴き取ったのは――
信長の傍近くに仕えていた侍女という。
信長は、寄せ手が明智勢であると知り――
万に一つも逃れる術はないと考えた。
光秀・個人の性格や能力――そして、明智勢の組織としての高機動性を――
信長は知っていた。
おそらく――
寄せ手の先鋒が斎藤(さいとう)利三(としみつ)が如き手練れの将であることも――
――是非に及ばず。
とは――
そうした直観の発露であった。
――是非に及ばず。
とは、ここでは、
――仕方がない。
の意である。
信長は自ら弓や槍を取って戦った。
が――
多勢に無勢――
やがて、深手を負い――
奥へ下がる。
この時、信長の周りには多く見積もっても百数十の兵しかいなかった。
寄せ手の先鋒・利光は、2,000 から 3,000 の兵を率いていたといわれる。
奥へ下がった信長は――
もう一つ、後世、有名となる“発露”を口にする。
――女は苦しからず。急ぎ罷(まか)り出よ。
この言葉に救われて――
件の侍女は、本能寺を後にした。
『随に――』