マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

本能寺(2)

 織田(おだ)信長(のぶなが)は――

 本能寺(ほんのうじ)で明智(あけち)光秀(みつひで)の急襲を受けたとき――

 最初は、雑兵らの喧嘩と思ったらしい。

 

 信長だけではない。

 近習の筆頭で仕えていた森(もり)成利(なりとし)も――

 そう思ったという。

 

 成利は、信長の小姓で、

 ――森(もり)蘭丸(らんまる)

 の通称で知られる。

 

 やがて、鉄砲の音が聴こえるに至り――

 信長と成利との間で、後世、有名となる会話が交わされる。

 

 ――こは謀反(むほん)か。いかなる者の企てぞ。

 

 ――明智が者と見え申し候(そうろう)。

 

 ――是非に及ばず。

 

 2人の会話を聴き取ったのは――

 信長の傍近くに仕えていた侍女という。

 

 信長は、寄せ手が明智勢であると知り――

 万に一つも逃れる術はないと考えた。

 

 光秀・個人の性格や能力――そして、明智勢の組織としての高機動性を――

 信長は知っていた。

 

 おそらく――

 寄せ手の先鋒が斎藤(さいとう)利三(としみつ)が如き手練れの将であることも――

 

 ――是非に及ばず。

 とは――

 そうした直観の発露であった。

 

 ――是非に及ばず。

 とは、ここでは、

 ――仕方がない。

 の意である。

 

 信長は自ら弓や槍を取って戦った。

 

 が――

 多勢に無勢――

 

 やがて、深手を負い――

 奥へ下がる。

 

 この時、信長の周りには多く見積もっても百数十の兵しかいなかった。

 寄せ手の先鋒・利光は、2,000 から 3,000 の兵を率いていたといわれる。

 

 奥へ下がった信長は――

 もう一つ、後世、有名となる“発露”を口にする。

 

 ――女は苦しからず。急ぎ罷(まか)り出よ。

 

 この言葉に救われて――

 件の侍女は、本能寺を後にした。

 

 『随に――』