本能寺(ほんのうじ)の変で、相応に重い役回りを演じた部将・斎藤(さいとう)利光(としみつ)の運命は――
にわかには信じ難いほどに数奇である。
主・明智(あけち)光秀(みつひで)は、織田(おだ)信長(のぶなが)を首尾よく討った後――
中国からの大返しに成功をした羽柴(はしば)秀吉(ひでよし)との合戦に及ぶ。
山崎(やまざき)の戦いである。
このときも――
先鋒は利三が務めた。
が――
結果は敗北――
逃れた利三は、やがて捕らえられ――
洛中、引き回しの上、六条河原(ろくじょうがわら)で刑に処された。
その遺骸は、主・光秀と併せ、首と胴とが繋がれた上で、改めて晒されたという。
これで話は終わらない。
信長の亡き後――
近畿の覇権を襲った秀吉は――
やがて、天下を手中に収め、
――豊臣(とよとみ)
と姓を改める。
が――
子の秀頼(ひでより)の代で失墜――
天下は徳川(とくがわ)家康(いえやす)の手中に収まった。
その家康が――
嫡孫・竹千代(たけちよ)の乳母に選び出したのが――
ほかならぬ斎藤利三の娘・福(ふく)であった。
徳川幕府三代将軍・家光(いえみつ)の乳母・春日局(かすがのつぼね)である。
家康は、なぜ――
嫡孫の乳母に、わざわざ利三の娘を選んだのか。
むろん――
当人の教養や人柄に目をつけたであろう。
また――
関ヶ原の戦いの折――
あの「裏切り」で有名な小早川(こばやか)秀秋(ひでやき)の重臣の列には、福の夫が連なっていた。
主に対し、しきりに家康の味方をするよう、説得を続けたという。
その戦功の大きさを重くみて――
家康は嫡孫の乳母に福を選んだ――
が――
果たして、それだけか。
……
……
本能寺の変の折――
明智勢は、信長から密命を受けていたとする説がある。
当時、堺(さかい)にいた家康の急襲・殺害の密命とされる。
この密命に――
光秀も利三も抗い、信長を討った――
であるならば――
二人は家康の恩人である。
その恩に報いるために――
家康は嫡孫の乳母に福を選んだ――
ありえそうな話である。
『随に――』