藤原隆家(ふじわらのたかいえ)と、その叔父・藤原道長(ふじわらのみちなが)とでは、
――政権の首班は、どのように選ぶのがよいのか。
という問いに対する答えが、決定的に違っていたのではないか――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
隆家は、
――政権の首班は純粋に形式的に選ぶのがよい。
と考えていたように――
僕には思います。
例えば、
――現在の政権の首班の正妻の息子のなかで最初に生まれた者を、次期の政権の首班とする。
というようにです。
これに対し――
叔父・道長は、
――政権の首班は多少なりとも実質的に選ぶのがよい。
と考えていたでしょう。
例えば、
――現在ないし過去の政権の首班の正妻の息子のなかで最も資質に恵まれているとみられる者を、次期の政権の首班とする。
というようにです。
――純粋に形式的に選ぶ。
の利点は、
――政争を防げる。
という点です。
形式に則れば、次期の政権の首班の候補は一人に絞れますから、政争は起こりようがない――
欠点は、
――資質に乏しい者が政権の首班となりうる。
という点です。
これについては、資質の豊かな者たちが集まって補佐をすれば、対応は可能です。
一方、
――多少なりとも実質的に選ぶ。
では――
当然のことながら――
利点と欠点とが入れ代わります。
利点は、
――資質の豊かな者が政権の首班となりうる。
という点で――
欠点は、
――必ず政争が起こる。
という点です。
この矛盾は――
現代においては、
――民主主義に基づく選挙の制度
によって克服をされています。
すなわち、
――誰も殺されることのない政争――「選挙」という名の政争――を公正に行うことによって、多少なりとも資質の豊かな者を政権の首班に選ぶことができる。
という発想です。
が――
平安中期においては、
――「選挙」という名の政争
などは、
――夢のまた夢――
であったでしょう。
隆家と道長との相剋の根源にあったのは、
――政権の首班は、形式的に選ぶのがよいのか、実質的に選ぶのがよいのか。
との問題意識ではなかったか、と――
僕は思うのです。