マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

藤原隆家のこと(28)

 藤原隆家(ふじわらのたかいえ)が刃傷沙汰を起こしたのは――

 花山(かざん)法皇(ほうおう)へ矢を射かけさせたときだけではありません。

 

 その前年に――

 叔父・藤原道長(ふじわらのみちなが)の従者を殺させています。

 

 隆家の従者らと叔父・道長の従者らとが、都の大路で乱闘を繰り広げました。

 その翌月に、叔父・道長の従者の一人が殺害をされているのです。

 

 その殺害をされた従者というのは、

 ――秦久忠

 という名前であったそうで――

 おそらくは「はたのひさただ」と読むのですが――

 名前が伝わっているくらいですから、身分の低い下働きの召使などではなかったに違いありません。

 

 当然のことながら――

 道長とも面識はあり、それなりに頼りにしていた従者ではなかったでしょうか。

 

 そんな従者が殺害をされたことは、道長にとっても衝撃であり、痛恨であったことでしょう。

 ――何ということをするのだ。

 と少なからず隆家を怨みに思ったはずです。

 

 が――

 その後の道長は、どういうわけか、この怨念を水に流すのです。

 

 何があったのでしょうか。

 

 おそらく――

 隆家が、丁重な事後処理をしたのでしょう。

 

 ――今回は殺害に至ってしまったが、当初は、そのようなつもりはなく、ことの成り行きで、ついそうなってしまった。

 などと釈明をした上で、粛然と弔意を示したのではないでしょうか。

 

 道長が甥・隆家の能力や人柄に一目を置くようになったのは――

 この事件の幕引きの見事さが契機ではなかったか、と――

 僕は想像をしています。

 

 が――

 この成功体験が――

 花山法皇の一件では裏目に出たのでしょう。

 

 ――最悪、誰かが斬り死にしたとしても、しっかりと後始末をつければ大丈夫である。

 そのような目算が若き隆家の判断を狂わせたように――

 僕には思えます。

 

 きのうの『道草日記』で述べたように――

 隆家と花山法皇との間には、ある種の信頼関係があったと考えられます。

 

 そのことも――

 隆家の判断を狂わせたに違いありません。

 

 実際は――

 相手が違ったのです。

 

 たしかに、叔父・道長も花山法皇も貴人であることに変わりはありません。

 

 が――

 叔父・道長は、あくまでも身内です。

 

 花山法皇は、かつての主君です。

 

 たとえ同じような刃傷沙汰であっても、世間のみる目が厳然と違ってくることに――

 隆家は気づくべきでした。