藤原隆家(ふじわらのたかいえ)が刃傷沙汰を起こしたのは――
花山(かざん)法皇(ほうおう)へ矢を射かけさせたときだけではありません。
その前年に――
叔父・藤原道長(ふじわらのみちなが)の従者を殺させています。
隆家の従者らと叔父・道長の従者らとが、都の大路で乱闘を繰り広げました。
その翌月に、叔父・道長の従者の一人が殺害をされているのです。
その殺害をされた従者というのは、
――秦久忠
という名前であったそうで――
おそらくは「はたのひさただ」と読むのですが――
名前が伝わっているくらいですから、身分の低い下働きの召使などではなかったに違いありません。
当然のことながら――
道長とも面識はあり、それなりに頼りにしていた従者ではなかったでしょうか。
そんな従者が殺害をされたことは、道長にとっても衝撃であり、痛恨であったことでしょう。
――何ということをするのだ。
と少なからず隆家を怨みに思ったはずです。
が――
その後の道長は、どういうわけか、この怨念を水に流すのです。
何があったのでしょうか。
おそらく――
隆家が、丁重な事後処理をしたのでしょう。
――今回は殺害に至ってしまったが、当初は、そのようなつもりはなく、ことの成り行きで、ついそうなってしまった。
などと釈明をした上で、粛然と弔意を示したのではないでしょうか。
道長が甥・隆家の能力や人柄に一目を置くようになったのは――
この事件の幕引きの見事さが契機ではなかったか、と――
僕は想像をしています。
が――
この成功体験が――
――最悪、誰かが斬り死にしたとしても、しっかりと後始末をつければ大丈夫である。
そのような目算が若き隆家の判断を狂わせたように――
僕には思えます。
きのうの『道草日記』で述べたように――
隆家と花山法皇との間には、ある種の信頼関係があったと考えられます。
そのことも――
隆家の判断を狂わせたに違いありません。
実際は――
相手が違ったのです。
たしかに、叔父・道長も花山法皇も貴人であることに変わりはありません。
が――
叔父・道長は、あくまでも身内です。
花山法皇は、かつての主君です。
たとえ同じような刃傷沙汰であっても、世間のみる目が厳然と違ってくることに――
隆家は気づくべきでした。