マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

虫愛づる姫君:自分だったら、どんな物語にするか

 短編物語集『堤(つつみ)中納言物語』の一編、

 ――虫愛づる姫君

 を、きちんと物語として終わらせるには、

 ――主人公が非合理的な慣習や通念との共存を図りうる何か新しい発想を弁証法的に示す。

 という展開を探っていくことが有望であるが――

 その「何か新しい発想」というものを、

 ――虫愛づる姫君

 の作者は、最終的には思いつくことができなかったのではないか――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 21世紀序盤の現代であれば、

 ――自然愛好

 や、

 ――環境保全

 といった概念が導入をされ、きちんとした物語の終わらせ方が模索をされたかもしれませんが――

 それら概念は、20世紀以降に定着をしてきたものですから、

 ――虫愛づる姫君

 の作者には、とうてい思いつきえない発想でした。

 

 とはいえ――

 

 それは―― 

 後世の作家たちにとっては、幸運であったかもしれません。

 

 もし、

 ――虫愛づる姫君

 が、

 ――自然愛好

 や、

 ――環境保全

 の物語になっていたら――

 どうでしょう?

 

 おそらく――

 かなり退屈な物語になっていた――

 

 虫好きの姫が、

 ――この豊かな大自然を私は愛している。

 とか、

 ――地球環境を子孫たちに残していこう。

 とかいった台詞を口にしたとしても――

 とくに魅力が増すことはなく、むしろ、魅力は減るに違いありません。

 

 そうした凡百のキャラクター造形に虫好きの姫を落とし込むことなく、

 ――二の巻にあるべし。

 の文句が書き添えられたことは――

 後世の作家たちにとっては、まことに幸運でした。

 

 ――自分だったら、どんな物語にするか。

 

 この 300 ~ 1,000 年の間に――

 数多くの作家たちが、熟慮熟考を重ね、場合によっては、試行錯誤を繰り返したはずです。