――古典を読む意味
は、
――人の一生の時間では解けない問題に向き合うため――
であり、
――古典を書く意味
は、
――人の一生の時間では解けない問題を世に問うため――
である――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
つまり――
古典を扱う上で鍵となるのは、
――人の一生の時間では収まらない問題
なのです。
このような意味で、
(すごく古典らしい)
と僕が思うのは、短編物語集『堤(つつみ)中納言物語』の一編、
――虫愛づる姫君
です。
平安期の有力な貴族の家に生まれた若い女性が――
当時の貴族階級の女性の慣習に従わず、眉を抜くことも歯を黒く染めることもせずに、男性の従者たちに野原から虫の類いを取って来させ、それらを籠に入れて可愛がっている――
という話です。
両親や侍女たちが、
――そんなふうに虫を可愛がっていると世間体が悪くなるので、やめて欲しい。
と忠告をしても、
――蝶の本性は、その幼虫に秘められている。蝶を美しいと思うのなら、その幼虫にも関心を向けるのが自然である。
と反論をし、自分の言動を改めようとはしません。
そんな虫好きの姫に、同じ貴族階級の若い男性が興味をもち――
精巧な蛇の作り物を贈ります。
その蛇が作り物であることを、虫好きの姫は見抜けません。
平静を保とうとしつつも、つい怖がってしまいます。
一方――
虫好きの姫の父親は、贈られてきた蛇が作り物であることを見抜き、
――贈り主に返事を出すように――
と姫に命じます。
姫は、まだ平仮名が書けなかったので、片仮名で返事を出しました。
その返事をみた男性は、
――この姫君の姿をどうにかしてみてやりたいものだ。
と思い――
あるときに、女装をして姫の住まいを覗きみます。
そして――
姫は簾の外へ出て虫をみている姿をまんまとみられてしまうのです。
男性は、和歌を詠んで姫の姿を目の当たりにしていることを暗に示した上で――
それを姫に届けさせます。
当時――
貴族階級の若い女性が父親や兄弟以外の男性に姿をみられることはスキャンダル以外の何事でもありませんでした。
が――
姫は平然としています。
――何も恥ずかしがることはない。人の命は限られている。何が良くて何が悪いかは、そう簡単にはわからない。
侍女たちは呆れかえって何も反論をしません。
それでも、侍女のうちの一人が、おそらくは姫の将来を慮って――
その男性へ、
――お名前を教えてほしい。
といった内容の和歌を代筆で送るのですが――
男性は名乗ることなく、笑って去りました。