マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

虫好きの姫:変に美化はしないほうがよい

 短編物語集『堤(つつみ)中納言物語』の一編、

 ――虫愛づる姫君

 の主人公・虫好きの姫は、

 ――優れた自立心・自律心・探求心の持ち主

 であった――

 とする解釈には留保が必要である――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 そのような人物として虫好きの姫のことを作者は本当に描いているのか――

 という問題意識です。

 

 もし、本当に自立心・自律心・探求心の女性として描いているつもりなら――

 もう少し、

 (カッコよくなる)

 と思うのですよね。

 

 ――虫愛づる姫君

 の主人公・虫好きの姫は、

 (そんなにカッコよくはない)

 と僕は思います。

 

 本当に自立心・自律心・探求心に優れている人物として描くのならば――

 作り物の蛇を作り物であると独力で見抜いたり――

 覗かれていても敢えて優雅に振る舞ってみせたり――

 

 が――

 そういうことはないのですね。

 

 作り物の蛇を贈られ、それが作り物であると見抜けなかったり――

 覗かれているかもしれないと思って、慌てて屋内へ逃げ込んだり――

 

 それでいて――

 口では、

 ――物事は根源が大切である。

 とか、

 ――悟ってしまえば恥ではない。

 とかといったりする――

 

 そんな描かれ方では――

 たんなる強がりにしか感じられないのです――発言と行動とが解離をしすぎている――

 

 むしろ、もう少し口下手であるほうが、まだ体裁を保てるような気さえします。

 

 よって――

 ふつうの感覚では――

 作者は虫好きの姫を突き放して描いている――もっといえば、半ばバカにして描いている――

 と捉えるのが妥当であるように思えます。

 

 作者は、少なくとも作品の世界の中では、創造主も同然の存在ですから――

 その“創造主”によって揶揄をされている人物は、結局は、その程度の人物であると捉えるのが自然でしょう。

 

 (変に美化はしないほうがよい――)

 そう思います。