短編物語集『堤(つつみ)中納言物語』の一編、
――虫愛づる姫君
の主人公・虫好きの姫については――
様々な解釈がなされています。
その中で――
少なくとも21世紀序盤の現代において、主流を成していると思われる解釈は、
――虫好きの姫は、自分のことは自分で決め、つねに理知的に発言をし、合理的に行動をしようとする自立心や自律心に富んだ女性であり、かつ、自分の感性を信じ、予断や偏見をもたず、つねに物事の根源を探ろうとする探求心を備えた女性である。
といった解釈でしょう。
僕も、基本的には同じ解釈です。
この物語は――
21世紀序盤の現代においても依然、多くの人々の興味をかきたてるのですが――
その要因は、虫好きの姫が備えていると思われる自立心・自律心・探求心に集約をされうる、と――
僕も考えています。
が――
この解釈には、少なくとも一度は「待った」をかけるほうがよいでしょう。
この物語は史実を伝えているわけではありません。
虚構として描かれています。
9月29日の『道草日記』で触れたように――
モデルになった人物――例えば、藤原宗輔(ふじわらのむねすけ)の娘など――は、おそらくは実在をしたでしょうが――
そうした人物の史実を伝えていると作者が主張をしている形跡はありません。
――あくまでも虚構
と捉えるのがよいのです。
よって――
作者の意図が見過ごせなくなります。
端的にいうと、
――作者は虫好きの姫を、突き放しているのか、いないのか――
という点です。
……
……
きのうの『道草日記』で述べた、
――「ニの巻にあるべし」の書き添えは、作者による文言か、作者以外の者による文言か。
という問題意識も――
結局は、
――作者が描こうとした虫好きの姫の人物造形を、どのように捉えるのがよいのか。
という問題意識に通じます。