短編物語集『堤(つつみ)中納言物語』の一編、
――虫愛づる姫君
の物語が、
――同時代にそぐわない風変わりな言動を押し通そうとする人たちへの風刺
として書かれているのであれば――
その末尾に書き添えられた「ニの巻にあるべし」という文言は、写本が編まれる際に、作者以外の誰か別の者によって付け足されたのではないか――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
この疑念は――
実は、9月24日の『道草日記』で既に触れています。
触れた上で――
21世紀序盤の現代に生きる僕らにとっては、
――二の巻にあるべし。
と書き添えた者が作者であろうと、作者以外の者であろうと、本質的には同じことである――
とも述べました。
その主張を引っ込めるつもりはありませんが――
やはり、
――二の巻にあるべし。
と書き添えた者が、作者なのか、作者以外の者なのかで――
原文から受けとる印象は、だいぶ違います。
――二の巻にあるべし。
と書き添えたのが――
もし、作者以外の者ならば――
作者は、虫好きの姫のことを徹底的に突き放していることになりますが――
もし、作者ならば――
その作者は、「二の巻」では打って変わって、虫好きの姫のことを温かな筆致で描いているはずです。
現存の「一の巻」で、虫好きの姫のことを冷たい筆致で描いていたのは、巧みな演出の一環であった、ということになります。
――二の巻にあるべし。
と書き添えたのは――
いったい、どちらなのでしょうか。
……
……
何となく、
(作者以外の者かな)
と僕は思っているのですが――
(実は「作者であった」ということが史学的に確かめられたりすると面白いな)
とも思っています。