「どうして、いつも恋愛の話にもっていくの?」
と先日、身内の者に訊かれました。
少し唐突な質問であったので、
(最近の『道草日記』に「虫好きの姫には武家の棟梁と出会って旅立つことが必要だ」って書いてるからかなぁ)
などと思いました――その身内の者が最近の『道草日記』を読んでいるのかどうかは知らないのですが――
――虫好きの姫
というのは――
短編物語集『堤(つつみ)中納言物語』の一編、
――虫愛づる姫君
の主人公のことです。
……
……
いつも恋愛の話にもっていっている自覚はありません。
少なくとも、
――虫好きの姫には武家の棟梁と出会って旅立つことが必要だ。
と書いていたときには――
少なくとも虫好きの姫の物語を恋愛の話にもっていくつもりは、ほとんどありませんでした。
(もっていってもいいのかなぁ)
とは思っていましたが、
(絶対にもっていくべきである)
とは思っていませんでした。
虫好きの姫の物語に恋愛をもちこんでも巧くいかないでしょう。
その物語の中で、虫好きの姫が恋愛に興味も関心も示していないのは明らかです。
何しろ――
9月21日の『道草日記』で述べた通り――
同じ貴族階級の若い男性に自分の姿をみられているのに、
――何も恥ずかしがることはない。人の命は限られている。何が良くて何が悪いかは、そう簡単にはわからない。
といって涼しい顔をしているのです。
そんな女性に恋愛事をもちこんだところで――
反応は極めて鈍いでしょう。
主人公の反応が鈍ければ――
物語は停滞をしてしまう――
実際のところ、
――虫愛づる姫君
の物語は――
同じ貴族階級の若い男性が虫好きの姫に関心を示し始めたところから、停滞をし始めているように――
僕には感じられます。
この物語を作者が終わらせることができなかったのは――
おそらく、虫好きの姫に恋愛事をもちこんだからです。