マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

虫好きの姫のモデルになったであろう人物の名や生年を考える

 短編物語集『堤(つつみ)中納言物語』の一編、

 ――虫愛づる姫君

 の主人公・虫好きの姫のモデルになっているであろう人物は、平安後期の公卿・藤原宗輔(ふじわらのむねすけ)の娘であるけれども――

 その人物は、名はもちろん、生年もわからない――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ……

 

 ……

 

 いま――

 僕は虫好きの姫の美化を試みています。

 

 虫好きの姫の美化を試みるには、

 ――虫愛づる姫君

 の物語が純粋に虚構であるという束縛条件を緩める必要があります。

 

 そのためには、

 ――史実に反しない範囲で成立をしうる虚構

 を大量に作りこんで重ねていく必要がある――

 ということは、10月23日の『道草日記』で述べた通りです。

 

 ――史実に反しない範囲で成立をしうる虚構

 を作りこむ際には、

 ――わからない。

 ということは、

 ――自由に創造をする余地がある。

 ということに他なりません。

 

 藤原宗輔の娘の場合は――

 名がわからないのですから、自由に名付けてよいことになります。

 

 また――

 生年がわからないのですから、自由に決めてよいことになります。

 

 名については――

 本名は伝わっていないのですが――

 通称なら伝わっています。

 

 ――若御前(わかごぜん)

 という通称です。

 鳥羽(とば)法皇(ほうおう)の御所に男装をして赴き、音楽の演奏をしたことに由来をしているようです。

 

 ここでいう、

 ――若

 とは、おそらくは、

 ――良家の子息

 くらいの意味です。

 また、

 ――御前

 とは身分の高い女性への敬称です。

 

 このような通称が似合う女性であったのでしょう。

 

 が――

 あくまでも通称ですから――

 これをいくら踏まえても、本名を推し量ることはできません。

 

 生年については――

 鳥羽法皇が権勢を振るっていたときに、音楽の演奏ができるくらいには成長をしていたけれども、

 ――若御前

 の通称が定着をするくらいには若かった――おそらくは、10代であった――

 と考えることができます。

 

 鳥羽法皇院政を敷くのは大治4年(1129年)から保元元年(1156年)までです。

 

 また――

 きのうの『道草日記』で述べた通り――

 藤原師長(ふじわらのもろなが)という公卿に音楽を教えていることから――

 この公卿と比べると相応に年長であったと考えられます。

 

 藤原師長の生年は保延4年(1138年)です。

 

 よって――

 藤原宗輔の娘の生年は、だいたい、

 ――1120年頃から1130年頃にかけて――

 と見積もることができます。