短編物語集『堤(つつみ)中納言物語』の一編、
――虫愛づる姫君
の主人公・虫好きの姫のモデルになっているであろう人物――藤原宗輔(ふじわらのむねすけ)の娘――通称、若御前(わかごぜん)――は、平安後期の公卿・藤原頼長(ふじわらのよりなが)と面識があったかもしれない――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
実は――
藤原頼長と若御前とは、ほぼ同年齢ではなかったか、と――
僕は考えています。
藤原頼長が藤原宗輔より 40 歳以上も年下であったことは――
きのうの『道草日記』で述べました。
孫と祖父との年齢差も同然であったにもかかわらず――
この二人の公卿は互いに交流を深め合いました。
その理由は何か――
僕は、
(藤原頼長と若御前とが、ほぼ同年齢であったから――)
と推理をしたいと思うのです。
つまり――
藤原宗輔にとって、若御前は、かなり遅くに生まれた娘であり――
しかも、特別な娘――例えば、一人娘――ではなかったかと思うのですよね。
藤原宗輔の子らには、息子が圧倒的に多く、娘は、若御前を除き、その存在は伝わっていないようです。
そうであるからといって、もちろん、若御前が藤原宗輔の一人娘であったとは限りませんが――
もし、一人娘であったとするならば、藤原宗輔にとって若御前の存在は特別な地位を占めていた可能性があるでしょう。
このことが――
藤原頼長との関係性を藤原宗輔に身近なものと感じさせていたのかもしれません。
さらにいえば――
藤原頼長と若御前との関係性も、たんに、
――面識がある
といった程度のものではなくて――
実は、かなり深い関係にあったのではないかと――
つい邪推をしたくなります。
ただし――
ふつうの男女の関係ではなかったでしょう。
若御前は、男装をして鳥羽(とば)法皇(ほうおう)の御所へ伺候をしたり、藤原師長に音楽を教えてしまうくらいに、当時としては、型破りの女性です。
そして――
そんな二人のことですから――
当時としては、信じられないくらいに奇抜なことに――
二人は互いの性別を越えて誼を通じ合っていたのではないか――
そんな気がするのです。