短編物語集『堤(つつみ)中納言物語』の一編、
――虫愛づる姫君
の主人公・虫好きの姫のモデルになっているであろう人物――藤原宗輔(ふじわらのむねすけ)の娘――通称、若御前(わかごぜん)――が、実際に平安後期の公卿・藤原頼長(ふじわらのよりなが)と互いの性別をこえて誼を通じ合っていたとすると――
二人は、どんなことに共通の興味をもっていたのでしょうか。
真っ先に思いつくのは、
――音楽
ですね。
今日でいうところの、
――雅楽
です。
10月27日の『道草日記』で述べた通り――
藤原頼長の息子・藤原師長(ふじわらのもろなが)に若御前が音楽を教えているわけですから――
音楽が二人の共通の関心事であったであろうことは想像に難くありません。
が――
藤原頼長自身が音楽に親しんだ形跡はないのですね。
もちろん――
当時の教養として一通りのことは習得をしていたでしょうが――
少なくとも、息子・藤原師長のように音楽に秀でていたわけではありません。
むしろ――
苦手にしていた可能性があります。
藤原頼長が得意であったのは、学問です。
それも、漢詩を作ったり和歌を詠んだりといった文芸的なことではなく――
もっぱら漢籍――中国大陸から渡ってきた書物――についての知識が広く、その理解も深く、他の追随を許さなかったといいます。
藤原頼長は、どうやら芸事には疎かったようです。
よって――
藤原頼長と若御前とが音楽で交流を保っていたとは、ちょっと考えにくい――
では――
何で交流を保っていたのか――
……
……
手がかりは、
――虫愛づる姫君
の物語に隠されているでしょう。
この物語の主人公・虫好きの姫は、そもそも、どのように描かれていたか――
それが重要な手がかりであるはずです。
どのように描かれていたか――
最も端的に答えるならば――
10月7日の『道草日記』で述べた通り、
――本地たづねたるこそ、心ばへをかしけれ。
です。
つまり、
――物事の本来の素地を探ろうとすればするほどに、人の心は自然と浮き立つものである。
という思想の持ち主として――
描かれていた――
……
……
僕は、
(藤原頼長と若御前は陰陽(おんみょう)道で繋がっていたのではないか)
と想像をしています。
正確には、
――陰陽道から呪術や占術の領域を除いた部分――自然哲学的な部分――で繋がっていた。
……
……
この続きは、あす――