短編物語集『堤(つつみ)中納言物語』の一編、
――虫愛づる姫君
の主人公・虫好きの姫のモデルになっているであろう人物――藤原宗輔(ふじわらのむねすけ)の娘――通称、若御前(わかごぜん)――は、その生年を、だいたい、
――1120年頃から1130年頃にかけて――
と見積もることができる――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
誤差を「プラス・マイナス 3 年」と見積もると、
――1117年から1133年まで――
です。
この時期に生を受けた人物で――
日本史上、おそらく最も有名なのは、
――平清盛(たいらのきよもり)
です。
永久6年(1118年)の生まれです。
この国で初めて武家政権を打ち立てた人物として知られています。
軍記物語『平家物語』では、どちらかというと傲岸不遜な悪役――あるいは、非道徳的な反面教師役――として描かれていますが、近年では、重商主義のもとに海運国家を目指した先見的な政治家として捉える向きもあるようです。
その平清盛の好敵手であったと考えられる人物に、
――源義朝(みなもとのよしとも)
がいます。
保安4年(1123年)の生まれです。
公卿らの対立に武力で介入をし、平清盛らの軍勢と洛中で戦い、敗れ、関東の方へ逃れる途中で暗殺をされました。
一方――
父・藤原宗輔(ふじわらのむねすけ)と縁が深そうな人物のうち――
この時期に生を受けた人物で――
日本史上、おそらく最も有名なのは、
――藤原頼長(ふじわらのよりなが)
です。
保安元年(1120年)の生まれです。
摂関政治の全盛期を築いた藤原道長(ふじわらのみちなが)頼通(よりみち)親子の直系の子孫で――
30歳の頃、藤原氏一族の代表者の地位を父親から授かると、左大臣まで昇進をするのですが――
妥協を拒む激しい気性と自分にも他人にも厳しい性格とが災いをし、政権内で孤立を深め、最終的には武家の力を用いて政権を奪い取ろうとするのですが――
戦いに敗れ、逃れる途中で頸に流れ矢を受け――
その傷がもとで亡くなりました。
この苛烈で峻厳な権力者は藤原宗輔より 40 歳以上も年下であったのですが――
どういうわけか意気投合をしたらしく、互いに交流を深め合います――
藤原宗輔が娘・若御前と共に藤原師長(ふじわらのもろなが)という稀代の音楽家を教え導いたことは、10月24日以降の『道草日記』で繰り返し述べていますが――
藤原頼長が、藤原宗輔・若御前の音楽の才能を頼み、息子に手ほどきを受けさせたと伝わっています。
つまり――
藤原宗輔の娘・若御前は、藤原頼長と直接の面識があったかもしれないのです。