マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

虫好きの姫の的確な美化

 短編物語集『堤(つつみ)中納言物語』の一編、

 ――虫愛づる姫君

 は、決して史実を伝えているわけではない――

 ということを、10月19日の『道草日記』で述べました。

 

 よって――

 10月20日の『道草日記』では――

 その主人公・虫好きの姫について、変に美化はしないほうがよい――

 ということも――

 

 つまり――

 虫好きの姫を、安易に、

 ――優れた自立心・自律心・探求心の持ち主

 と捉えることは、

 ――21世紀序盤の価値観を不用意に差し挟んだ誤読に過ぎない。

 と、みなされうる――

 ということです。

 

 いいかえれば、

 ――自分のことは自分で決め、つねに理知的に発言をし、合理的に行動をしようとする自立心や自律心に富んだ女性であった。

 とか、

 ――自分の感性を信じ、予断や偏見をもたず、つねに物事の根源を探ろうとする探求心を備えた女性であった。

 というのは、しょせんは、

 ――理屈が通らない美化

 である――

 ということです。

 

 ……

 

 ……

 

 では――

 これを、

 ――理屈が通る美化

 にするには、どうしたらよいのか――

 

 ……

 

 ……

 

 いったん、

 ――虫愛づる姫君

 の物語から離れれば、よいのです。

 

 つまり、

 ――虫愛づる姫君

 の物語は、平安末期の公卿・藤原宗輔(ふじわらのむねすけ)の娘――通称、若御前(わかごぜん)――を貶めるために作られたものであり――

 史実としては、

 ――藤原宗輔の娘・若御前は、音楽だけでなく、陰陽(いんよう)五行(ごぎょう)思想にも通じた教養人であり、自分のことは自分で決め、つねに理知的に発言をし、合理的に行動をしよとする自立心や自律心に富んだ女性で、かつ、自分の感性を信じ、予断や偏見をもたず、つねに物事の根源を探ろうとする探求心を備えた女性であった。

 との主張を繰り広げていくのです。

 

 もちろん――

 この主張は、どんなに尤もらしく作り込んだところで、虚構であることに変わりはないのですから、

 ――史実

 というのは括弧に入れる必要があり――

 実際には、おそらくは史実ではないのですが――

 

 あえて史実を装うことで、

 ――虫愛づる姫君

 の主人公・虫好きの姫の美化が存分に行えるようになります。

 

 史実を装わなくても美化は可能でしょうが――

 どうしても迫力不足にはなるでしょう。