マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

虫好きの姫のモデルになったらしい人物

 短編物語集『堤(つつみ)中納言物語』の一編、

 ――虫愛づる姫君

 の主人公・虫好きの姫の美化は――

 平安後期の公卿・藤原宗輔(ふじわらのむねすけ)の娘を主人公に据え、史実に反しない範囲で、何か新しい物語を紡ぐことで、

 ――虫愛づる姫君

 の物語が純粋に虚構であるという束縛条件を緩めることによって――

 だいぶ、やりやすくなる――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 では――

 藤原宗輔の娘とは、どんな人物であったのか――

 

 ……

 

 ……

 

 残念ながら――

 史料は殆ど残っていないようです。

 

 藤原宗輔の娘について現在、知られていることを挙げると、

 ――音楽の演奏に優れていたために、鳥羽(とば)法皇(ほうおう)に望まれ、その御所へ男装をして赴き、演奏をした。

 ということと、

 ――稀代の音楽家として後世に名を遺す藤原師長(ふじわらのもろなが)という公卿に音楽を教えていた。

 ということとの2点です。

 

 そのような音楽家の女性が、なぜ、

 ――虫愛づる姫君

 の主人公・虫好きの姫のモデルになったと考えられるのかというと――

 

 それは――

 父・藤原宗輔の為人(ひととなり)によります。

 

 藤原宗輔は、藤原宗輔の娘と同等の――あるいは、それ以上の――音楽家として知られているのですが――

 それだけではなく、

 ――蜂飼大臣(はちかいおとど

 という異名をもった特異な人物でした。

 

 なぜ、「蜂飼」かというと――

 昆虫の蜂を飼い慣らしていたからです。

 

 いわゆる平安京の貴族ですから――

 召使に命じて蜂を飼わせていたように思われがちですが――

 どうやら、そうではなくて、自ら手足を動かして養蜂を営んでいたようなのですね。

 

 蜂の一匹一匹を見分けることができ、それらに名をつけ、十分に手なずけている――

 そして、それら蜂に命じ、自分の気に入らない人物を刺させることもできる――

 と同時代の人々に思われていたようです。

 

 この藤原宗輔の特異な為人が、

 ――虫愛づる姫君

 の主人公・虫好きの姫の人物造形の原型になっていると考えることは――

 それほど難しくありません。